Aの国は非常に栄えている、Bの国は栄えないということがある。それはなぜかというと、憲法によるのではありません。憲法を生かしていくところの理念というものをはっきりつかんでいない国は、いかに立派な憲法があっても何もならないということであります。

『松下幸之助発言集11』(「日本を考える全国青年のつどい」での講演・1969) 

解説

 「憲法」とは国民生活の秩序を支えるもの。会社でいえば定款のようなもの。そしてその定款、つまり憲法を生かしていくところの「理念」が経営理念・基本方針であるというのが、松下幸之助の見方でした。その見解を前提として、今回の言葉に従えば、定款を生かす経営理念・基本方針をはっきりつかんでいる会社は非常に栄えるということになります。そして幸之助の胸中には、「A」の会社はわが社であるという自負が少なからずあったことでしょう。

 1929(昭和4)年3月、急速に成長・発展を遂げる松下電器は、新本店・工場の完成を目前にして、経営理念を簡潔に表した綱領・信条を制定します。その年の暮れ、世界恐慌に端を発する不況が日本経済を襲い、電機業界でも倒産が相次ぎました。そうしたなかで幸之助は「生産半減。従業員は一人も解雇せず、給料は全額支給。店員は休日返上で在庫一掃」という断を下し、眼前の危機を突破します。

 この幸之助の決断は、経営理念をはっきりつかんでいたからこそなし得たのではないでしょうか。そして、こうした経験を積み重ねていくなかで、憲法(=定款)を生かす(ところの)理念をはっきりつかむことが日本(=会社)を繁栄に導くという信念を培っていったのでしょう。

 ちなみにこのつどいにおいて、幸之助にとって憂国の同志といえるワコールの塚本幸一氏(故人)、さらには石原慎太郎氏、牛尾治朗氏らとともに、「日本を考える青年会議」を発足させています。それは高度経済成長の陰で、日本人としての意識が薄れつつあることを危惧しての行動でした。

学び

その“法”は生かされているか。

“法”を生かす理念をはっきりつかんでいるか。