困難期、混乱期に際して、個々の仕事を適切に処理することはいうまでもなく大事ですが、しかしそれよりも大事なのは、根本的な心の迷いを取り除いて、しっかりと心を確立していくということです。志をかたく堅持して、そして事に立ち向かうことができるなら、その時どきに応じて最善だと考えられる具体的な方策は、適切に出てくるものだと思います。その志を確固としてもつことなしに混乱期に直面するなら、あれこれと心が迷うことになって、事が失敗に終わる場合が少なくないと思うのです。“貧すれば鈍する”ということばもありますが、ちょうどそういうことを言いあらわしていると思います。 

道は無限にある』(1975) 

解説

 志を失わない。このことを前回(9回目)コラムでとり上げましたが、志を堅持していくのは、けっして容易ではありません。ちなみに幸之助にとっての志とは、「初心」のことのようでもあり、「大志」はたまた「希望」「夢」のようでもあります。ここでは「初志」「素志」といいかえてもいいのかもしれません。次代のリーダー養成のために幸之助が開塾した松下政経塾では「素志」という表現を塾訓に用いて、塾生に志の貫徹を強く要求していました。

 今回とり上げた言葉のなかで「貧すれば鈍する」という故事成語を、幸之助は使っています。こうした言葉をどこで知り、探してきたかは本人のみぞ知ることですが、情報源の一つに「ラジオ」がありました。松下電器の初期段階では、ラジオは主力商品であり、その機器自体にはもちろん、流れてくる音声にも興味、関心をもっていました。高名な僧侶の講話を聴いていたという記録がありますし、1960年代に大阪府知事をつとめた左藤義詮氏のラジオ番組「心を洗う」は、古今東西の著名な先人の話がたとえ話として出てきたようで、「楽しんでいる」し「ためになる」のでよく聴いていたと自著などで述べています。

 

 ちなみに「貧すれば鈍する」は、「(物質面で)貧しくなると、日々の生活が苦しくなり、精神までも貧困におちいる」と解釈・理解される言葉です。ここでは幸之助流の解釈を加えている感もありますが、多くのリーダーがそうであるように、古の教えを自分の仕事や人生に生かして、スピーチにもちいることに幸之助が熱心だったのは、ほとんどの発言記録を見るかぎり、間違いありません。

 自分に合った方法で、過去の人間の叡智に触れる。それを生かし、未来につなげていく。その義務と責任を果たしてこそ、よきリーダーといえるのではないでしょうか。 

学び

昔からいわれる言葉には、必ず「学び」がある。その「学び」に照らし合わせ、自分の考え方・生き方をつねに見直すことで、心の迷いも取り除くことができるはず。