日に新たであるためには、いつも“なぜ”と問わねばならぬ。そしてその答を、自分でも考え、また他にも教えを求める。素直で私心なく、熱心で一生懸命ならば、“なぜ”と問うタネは随処にある。それを見失って、きょうはきのうの如く、あすもきょうの如く、十年一日の如き形式に堕したとき、その人の進歩はとまる。社会の進歩もとまる。繁栄は“なぜ”と問うところから生まれてくるのである。

道をひらく』(1968) 

解説

 松下幸之助には『なぜ』(文藝春秋、1965)という著作があります。11年後に文庫化された同書の“はじめに”にはこう記されています。“戦後二十年といわれた昭和四十年ごろ、私は当時の日本の社会情勢をみて、いくつかの「なぜ」という疑問を感じた。そうした疑問と、それに対する私なりの考えを、文藝春秋社の要請により一冊の本として刊行した”。

 そして最終章(文庫化にあたっての書下ろし)では、11年前よりさらに状況の悪化した日本社会を憂え、“日本が戦後三十年の間に一面非常に大きな発展をとげながら、その一面で随所に混迷、混乱を生じ、ついにはせっかく築きあげてきた繁栄すらも失いかねないような事態に立ちいたった”とし、その根本原因をみずからに「なぜ」と問い直したことも記しています。

 このおよそ11年間(1965~1976)、幸之助はずっと日本への「なぜ」を、内に持続し、外に発信し続けていました。人生・経営書だけでなく、主要な提言・研究書(『人間を考える』『崩れゆく日本をどう救うか』など)が当該期に精力的に発刊されているのが、なによりの証です。そしてそうした活動により幸之助は、日本を危機にいたらしめた一番の根本原因は“日本人が伝統の日本精神を失いつつあること”であり、ゆえに日本の政治・経済・教育の行きづまりが生じているとの結論に達しました(その結論への処方箋は、『日本と日本人について』<1982>という書にまとめられ、世に提起された)。

 いまの日本経済をみるに、成長産業がないわけでなく、富をしっかりと生み出している企業も多く存在します。しかし、国家全体としてはやはり、「進歩」が減速し、停滞し、行きづまり感がますます高まっていることは否めません。そしてこの現在の危機の根本原因も、幸之助が説いたように、よき日本精神を失いつつあること、そして国民全体の「なぜ」と問う総数が減少しているからなのかもしれません。 

学び

今日、「なぜ」と問うた数はどれほどだったか。

明日、「なぜ」と問う数はどれほどになるだろうか。