世の中の求めのないところ、いかなる職業も成り立ち得ないのです。その意味ではお互いの仕事、職業は、自分でやっているというよりも、社会にやらせてもらっているのだということになると思います。そのように考えますと、そこには一つの大きな安心感と感謝の気持ちとが起こってくるのではないでしょうか。

折々の記』(1983)

解説

 1932年のある日のこと、幸之助は天理教の本部を見学、その繁栄ぶりに感奮します。そして帰途に着く幸之助の頭の中になにかが蠢きはじめます。“宗教は非常に尊いが、それは人びとに安心立命を与える教えを提供しているからであろう。われわれ生産人は、そういう精神的な喜びは与えられないが、しかし生活になくてはならない物資を提供している。そうすると形はちがうが、その尊さには変わりはないのではないか――”『私の行き方 考え方

 悩み、考え抜いた幸之助に一筋の光明が差します。“宗教の場合は、なんとかして多くの人を救おうという信念に立っているが、われわれは、ともすれば自分のために商売をしている、というところにちがいがあるのではなかろうか。しかし、われわれの生産という仕事は、決して自分のためにやっているものではない。これは世の多くの人びとの物質的な必要を満たしているのである。人びとのお役に立っている。だから、これは、生産という一つの尊い使命を遂行していることにほかならない――”『同上』

 そしてついに、稲妻が幸之助を突き抜けます。真の使命、みずからがなすべきことを悟った瞬間です。そのときの充足感はなににも換えがたいものだったでしょう。自己の存在意義を確かめることができたときに、人は「大きな安心感」を得、力が湧いてくるものです。事実、それからの松下電器の発展ぶりについて、幸之助は“伸びゆく姿が鉄路を走る列車の正確さをもって進行していくほどの確実さ”を実感したと、後日述べています。幸之助は宗教の教義でなく、宗教の運営ぶりに感化され、安心立命を得ることができたのです。

 今回の言葉で幸之助は、自分の仕事は「社会にやらせてもらっている」ものなのだという考え方を提起しています。それは自分の仕事の、社会的存在意義をよく認識せよということです。その自覚によって、「大きな安心感と感謝」が起こってくる――。幸之助ならではの考え方だといえるでしょう。

学び

社会に仕事をやらせてもらっている。

自分の仕事は社会のためにある。