きみらが死んで灰になってしもうても、灰になったその人の行動というものは永遠に残っていく。歴史の上に残る。それで立派やとか立派やないとか批判されるわけや。だから、われわれの一挙手一投足というものは永遠に生きていく。そのことを考えてやらんといかんわけやな。

リーダーになる人に知っておいてほしいことⅡ』(1981)

解説

 今回の松下幸之助の言葉は、ある歴史上の人物の言葉を思い起こさせます。その人、内村鑑三が残した『後世への最大遺物』という書物は、長く日本人に読まれ、いまは岩波文庫に収録されています。そのなかにある何人にも遺すことのできる“最大遺物とは何であるか。誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは勇ましい高尚なる生涯である”というくだりは、多くの日本人の心を励ましてきました。

 科学や医学、芸術、文学などで著しい進歩を生み出す人がいます。そうした偉大な功績を残せなくても、自分の子供に、人生の意味をしっかりと教え伝える親がいます。いずれもその生き様が勇ましい高尚なるものであればいい。それぞれがそれぞれの人生を精一杯生き切ることが、後世に貢献することになるのだ。内村はそう伝えたかったのでしょう。“見えない”遺産というものに大いなる価値を見出していたのです。

 そして幸之助も、同様の視座をもっていました。しかしそのうえで、こういうのです。立派でないものの「一挙手一投足」も「永遠に生きていく」と。

 善行も悪行もたしかに人間の歴史であり、そのいずれをも生かしていくことで、人間の新しい歴史がつくられてきたことを、普段私たちはあまり意識していないものです。人は皆、社会の構成員であり、社会を向上させる義務があると幸之助は考えていましたが、その責務を果たすには、幸之助がいうように、みずからの言動が「永遠に生きていく」ことを強く認識することが必要でしょう。それは同時に、お互いの人生をより意義深いものにすることにもつながるはずです。

学び

言動は、永遠に生きる。

だから、懸命に生きる。