昔から“一将功成りて万骨枯る”ということわざがある。たしかにこれは一面の真実をあらわしているといえよう。つまり、一人の大将が功を成すためには、戦場で多くの兵卒たちが死ぬ。それで一将の功が成るためには、万卒が死ぬというような大きな犠牲が一方で払われているんだ、と、こういうことなのである。しかし、また一面においては、その当時の武将の心構えはどのようなものであったかというと、いよいよ戦争をして戦い利あらずというときには、「傭兵たちの命は一つ助けてもらいたい。そのかわり、私は責任をとって切腹しよう」と、こういうことであったのではないであろうか。つまり、大将は大将なりに、事あらば兵にかわっていつでも死ねる覚悟をもっていたのである。いわば、こういう心構えというか、徹底した責任感というものが、昔の武将たちの真骨頂であったと思う。そしてこのような心意気というものが、われわれの祖先というか、いわば日本の伝統の一つの姿として、生きていると思うのである。今日においても、これはやはり生きつづけていると思うのである。

なぜ』(1965)

解説

 松下幸之助は、自分の仕事、自分の責任に対して命をかけるほどの真剣さで臨む心構えを、責任者に厳しく求めていました。こんなエピソードがあります。

 

 幸之助率いる松下電器は白物家電の草創期に、電気洗濯機の開発・販売において他社に後れをとっていました。ある日のこと、幸之助は各責任者を集め、会議を開き、製造部門の責任者に厳しい叱責を浴びせます。“営業のほうは製品を批判するばかりではなく自分たちの責任も自覚しなければいかん。けれど他のメーカーの製品とそれだけの差があるのでは、第一線で売れといっても売れんな。他メーカーに劣るような洗濯機をつくっとったのでは後れをとるのは当然や。将来のことを考えても大問題やと思う。なぜ、そんなものができたのか。きみ自身がほんとうに命をかけて洗濯機というものをつくっていないのとちがうか!”

 その責任者が“まことに申しわけありません。あと三カ月だけ待ってください。三カ月のうちに必ず営業や社長の期待にそうような洗濯機をつくってみせます”との意気ごみを見せたので、そこで会議は終わるとその場のだれもが思いました。しかし幸之助は叱責をやめず、“わかった。三カ月待とう。三カ月待つけど、三カ月たってすぐれた製品ができなかった場合は、きみ、どうするか。そのときはきみの首をもらうがいいか。その血の出る首だよ! きみ!首をくれるな!”。そう言って、手をぬっと差しだしたというのです。

 

 安価で便利な電気洗濯機を世に送り出す。その事業の失敗は、社を衰退させる要因となりかねない。こうした事業一つひとつに社員の生活がかかっている。幸之助はその責任の重さを身に沁みてわかっていたから、「死ねる覚悟」で開発・製造に挑むことを責任者に要求したのです。そしてその要求に応える責任者がいたことで、松下電器は日本を代表する企業へと成長することができたのです。

学び

「死ねる覚悟」はあるか。

徹底した責任感をもってその仕事に臨んでいるか。