松下幸之助のPHP活動

「人間宣言」と18人の有識者の短評――PHP活動〈22〉

 月刊誌『PHP』は第50号(昭和26〔1951〕年9月発行)を記念して、松下幸之助による「人間の天命」という文章を掲載しました(※1)。幸之助は、「PHPの立場から、一つ人間

松下幸之助のPHP活動

「観光立国の弁」とその反応――PHP活動〈21〉

 昭和29(1954)年、松下幸之助は、『文藝春秋』5月号に「観光立国の弁」と題する一文を発表しました(上写真)。これに関連する資料がPHP研究所に残されており、論考を発表する

松下幸之助のPHP活動

初期PHP研究所 最後の顧問 三辺長治――PHP活動〈20〉

 初期のPHP研究所で、もっとも長く顧問を務めた人物に、三辺長治(みなべ・ちょうじ、1886~1958)という人がいました。富山県出身で、金沢の第四高等学校に進学し、当時同校の

松下幸之助のPHP活動

東京と名古屋のPHP定例研究講座――PHP活動〈19〉

 昭和23(1948)年2月23日、大阪市中之島の大阪府立図書館で第1回PHP定例研究講座が開催されました。これは松下幸之助が中心となって作成した「PHPのことば」を発表して聴

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幻の商品「ハピーライト」――PHP活動〈18〉

 初期のPHP研究所では、活動資金を獲得するため、停電時の非常灯「ハピーライト」を販売しました(写真)。『PHP』昭和23(1948)年2月号40頁では、「今日の生活を現実に豊

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「PHP劇団」の構想――PHP活動〈17〉

 『PHP』の編集長を長く務めた錦茂男所員は、研究所の初期の活動において、「PHP劇団」をつくって、理念を「芝居で見せよう」という構想があったと述べています(※1)。一見すると

松下幸之助のPHP活動

和歌山支部と松下幸之助の活動――PHP活動〈16〉

 初期のPHP活動において、和歌山は松下幸之助がもっとも多く足を運んだ場所の一つでした。自身の故郷への関心が、PHP活動においても高かったことがうかがえます。  昭和22(1

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「今までにない同志的雰囲気」・・・NHK大阪――PHP活動〈15〉

 最初期からPHP友の会の結成に強い意欲を示した団体として、NHK大阪中央放送局をあげることができます。昭和22(1947)年1月7日、松下電器本社第一会議室で開催された第35

松下幸之助のPHP活動

初期PHP研究所のマーク――PHP活動〈14〉

 現在は使われていませんが、初期のPHP研究所は、左下のマークを使用していました。昭和21(1946)年11月19日に、さまざまな図案が提出された記録があり(※1)、2日後の同

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PHP出版社の活動――PHP活動〈13〉

 PHP運動の活動資金を獲得するため、初期のPHP研究所はさまざまな書籍を刊行していました。この活動は、名義上「PHP研究所」によるものではなく、「PHP出版社」で行われていま

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海外の情報収集――PHP活動〈12〉

 松下幸之助は、昭和26(1951)年1月18日から4月7日、初めてアメリカへ渡航しました。残された資料によると、幸之助の海外への関心は、PHP研究所創設時から高く、その後もさ

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PHP定例研究講座における映画上映――PHP活動〈11〉

 PHP活動で、最初に映画が上映されたのは、昭和22(1947)年3月8日、大阪市の毎日会館で開催された、大阪府下婦人友の会結成大会でした(当欄第3回参照)。当時は、CIE(C