松下幸之助のPHP活動

月刊誌『Voice』の創刊――PHP活動〈102〉

 昭和52(1977)年12月10日、月刊誌『Voice』が創刊されました。同年6月1日付で準備が始まった記録があります(※1)。6月8日に第1回企画案打合せが行われ、発行部数は「

松下幸之助のPHP活動

高野山における合宿――PHP活動〈101〉

 PHP研究所創設30周年記念出版として、昭和51(1976)年1月『小説・新世紀の日本』が企画されました。この原稿作成のため、同年7月15~28日、高野山西禅院にて合宿が行なわれ

松下幸之助のPHP活動

PHP友の会本部事務局の開設――PHP活動〈100〉

 松下幸之助は昭和25(1950)年7月17日、PHP活動を月刊誌『PHP』発行のみにとどめることを発表し、同年8月1日をもって初期PHP友の会本部はPHP研究所に吸収される形で消

松下幸之助のPHP活動

松下幸之助がPHP研究所所長に復帰――PHP活動〈99〉

 昭和46(1971)年3月18日、松下幸之助はPHP研究所所長を退任しました。以後は『人間を考える』の推敲に尽力し、同年12月8日に脱稿以降は、2年ほど体調を崩しています。錦茂男

松下幸之助のPHP活動

霊山顕彰会の財団法人化――PHP活動〈98〉

 明治元(1868)年5月10日、若くして命を落とした幕末の志士549柱の霊を祀るよう、明治天皇よりご沙汰があり、最初の官祭招魂社(現京都霊山護国神社)が建立されました。志士の墓な

松下幸之助のPHP活動

伊勢神宮崇敬会会長――PHP活動〈97〉

 松下幸之助は戦前に、伊勢神宮に参拝する機会がありました。京都の平安神宮や八坂神社に比べて伊勢神宮が「清楚」であったので、神社のイメージが180度変わったと言っています(速記録№4

松下幸之助のPHP活動

神道大系編纂会会長――PHP活動〈96〉

 昭和50(1975)年11月13日、松下幸之助は神道大系編纂会会長に就任しました。松下電器で事務を担当した松下電器常務取締役(当時)の小川鍛(きたえ)氏によれば、戦時中に108巻

松下幸之助のPHP活動

奈良県明日香村名誉村民――PHP活動〈95〉

 全盲の鍼灸師であった御井敬三氏の尽力により、昭和46(1971)年4月に財団法人飛鳥保存財団(現公益財団法人古都飛鳥保存財団)が設立され、松下幸之助が初代理事長に就任しました。翌

松下幸之助のPHP活動

矢野宗粋の逝去――PHP活動〈94〉

 昭和49(1974)年9月9日、大阪の四天王寺において、茶人であった矢野宗粋氏(1893~1974)の告別式が執り行なわれました。享年81。松下幸之助は弔辞を読んでいます。

松下幸之助のPHP活動

ソニー盛田昭夫氏との対談――PHP活動〈93〉

 昭和50(1975)年7月31日、東京のホテルオークラにおいて、ソニー会長の盛田昭夫氏(当時)と松下幸之助の対談が行なわれました(写真)。

松下幸之助のPHP活動

『崩れゆく日本をどう救うか』――PHP活動〈92〉

 松下幸之助は昭和49(1974)年12月に『崩れゆく日本をどう救うか』を発刊しました。記録が残る限り、発案から3カ月程度で発刊しており、オイルショックという時事的な話題に合わせた

松下幸之助のPHP活動

アーノルド・J・トインビー『日本の活路』――PHP活動〈91〉

 イギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビー氏(Arnold Joseph Toynbee)(※1)は、昭和42(1967)年11月27日、夫婦で真々庵に来庵しました(写真)。松