Q72:幸之助の以下のエピソードで当てはまるものは?

松下電器では、昭和8(1933)年5月から事業部制が実施されました。次のうち、幸之助が意図した事業部制の狙いとして間違っているものはどれでしょうか?

(1)経営者の育成をはかることができる

(2)自身の社長としての権限が明確化できる

(3)自主責任経営を徹底できる

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解答&解説コラム

 (2)が間違っています。

 松下電器における事業部制の淵源は、昭和2(1927)年の電熱部創設にあります。新設された電熱部では、生産販売に関する一切をその責任者に任せる方法がとられました。

 

 さらに昭和8(1933)年5月、日本で初めて組織としての事業部制が実施されます。工場群を3つの事業部に分け、ラジオ部門を第一事業部、ランプ・乾電池部門を第二事業部、配線器具・合成樹脂・電熱器部門を第三事業部とし、各事業部は製品の開発から生産、販売、収支の管理までを一貫して担当する独立採算の事業体となりました。

 

 幸之助は後年、「事業部制の導入には2つの狙いがあった。1つは事業部制にすることで成果がはっきり分かり、責任が明確になって、『自主責任経営』が徹底できること。もう1つは、一切の責任を持って経営にあたることが、経営幹部にとっての本当の試練の場となり、経営者の育成がはかれるということだ」と語っています。