大正十四年、幸之助は近隣の人たちの推薦を受けて、大阪市の連合区会議員の選挙に立候補、当選したが、その選挙運動を通じて十七歳年長のある区会議員の知遇を得た。

 ある日、幸之助は街角で偶然この人に出会い、久しぶりだということで、レストランに誘われた。“お茶でも”という幸之助の心づもりに反してこの人は、豪華なランチを二人前注文した。ところが運ばれてきた食事に幸之助は容易に手をつけようとしない。
 体の調子でも悪いのかといぶかる相手に、幸之助は申しわけなさそうに答えた。

 「従業員の人たちが今、汗水たらして一所懸命に働いてくれていることがふと頭に浮かびましてね。それを思うと、私だけこんなご馳走を、申しわけなくてよう食べんのです」

 感銘したこの人は、以後いっそう幸之助に対する信頼を深め、のちにはついに、自分の商売をやめて松下電器に入り、幸之助に協力することになった。