幸之助は、十五歳のとき、町を走る市電を見て電気事業にひかれ、六年近く勤めた五代自転車商会をやめた。そして大阪電灯会社への入社を志願するが、欠員が出るまでの三カ月間、セメント会社で臨時運搬工として働くことになった。その間の出来事である。

 

 幸之助は毎日、大阪築港の桟橋から船に乗って仕事場に通っていた。夏のころであったが、ある日、帰りに船べりに腰かけていると、一人の船員が幸之助の前を通ろうとして足を滑らせた。その拍子に幸之助に抱きついたので、二人はそのまま、まっさかさまに海に落ちてしまったのである。
 びっくりした幸之助は、もがきにもがいてようやく水面に顔を出したが、船はすでに遠くへ行ってしまっている。"このまま沈んでしまうのか"不安が頭をよぎった。が、ともかく夢中でバタバタやっているうちに、事故に気づいた船が戻ってきてようやく引き上げてくれた。"今が夏でよかった。冬だったら助からなかったろう"と、幸之助は自分の運の強さを感じた。

 

 また、こんなこともあった。松下電気器具製作所を始めたばかりの大正八年ごろ、自転車に部品を積んで運んでいたとき、四つ辻で自動車と衝突したのである。五メートルも飛ばされ、気づいたときには電車道に放り出されていた。そこへちょうど電車が来た。"やられる"と目をつぶったが、電車は急ブレーキをかけ幸之助のすぐ手前で止まった。部品はあちこちに散乱し、自転車はめちゃめちゃにこわれたが、幸之助はかすり傷一つ負わなかった。

 

 これらの経験から幸之助は、"自分は運が強い。滅多なことでは死なないぞ"という確信をもった。そして、"これほどの運があれば、ある程度のことはできるぞ"と、その後、仕事をする上で大きな自信になったという。