経営

「紺屋の久どん」の心意気――経営の姿勢〈11〉

 昭和三十九年から四十年にかけて、電機業界は深刻な不況に陥り、松下電器の販売会社や代理店のなかにも赤字経営に落ち込むところが激増した。    “このま

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経営理念を売ってほしい――経営の姿勢〈10〉

 昭和四十四年六月、幸之助は、ヨーロッパ視察の途中、西ドイツのハンブルク市に立ち寄った。そして、ハンブルク松下電器を訪ね、そこで日本から出向している駐在員との懇談会をもった。そ

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会社は公器や――経営の姿勢〈9〉

 昭和三十年のこと、ある中堅幹部が幸之助から、当時松下電器が福岡市をはじめ各方面から強い要請を受けていた九州への工場進出の是非について意見を求められた。彼は、自分の思うとおり、

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真実の声――経営の姿勢〈8〉

 昭和三十年代の初め、松下電器有力連盟店の感謝大会が東京の日比谷公会堂で催された。東京および近郊の各地区から約二千名が集まり、会場は一、二階とも満席。内輪の感謝会であり、弁当も

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自分の遅刻に減給処分――経営の姿勢〈7〉

 第二次世界大戦直後の昭和二十一年のことである。  この年の年頭、幸之助は、"この困難な時期を乗り切るために、今年は絶対遅刻はしないぞ"という決心をした。

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きみはどの道を歩いてきた――経営の姿勢〈6〉

 昭和三十三年ごろのことである。経営状況の報告のために本社に呼ばれた扇風機事業部長は、幸之助に、  「先月の決算はどうか」  ときかれ、胸を張って答えた。  「赤字です」

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自分ばかりしゃべりはった――経営の姿勢〈5〉

 昭和三十六年秋、幸之助が九州のある取引先の工場を訪れたときのこと。三十分ほど工場を見学し、そのあと社長、工場長と十分間ほど歓談した。  帰りの車中で幸之助は、随行していた九

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ネコとネズミ――経営の姿勢〈4〉

 戦後の復興に取り組んでいたころ、松下電器が五十万本の真空管の月産に成功して、当時、真空管メーカーではトップであったT社の四十五万本を五万本上回って日本一となったことがあった。

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初めての東京出張――経営の姿勢〈3〉

 商売を始めてまもないころ、幸之助は当時つくっていた二灯用差し込みプラグを東京でも売りたいと考えた。  そこで、それまで一度も行ったことのない東京へ出かけ、地図を片手に一日中

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「産業人の使命」を知った日――経営の姿勢〈2〉

 昭和四年の未曾有の不況を乗り切ってから三年、松下電器は順調な歩みを見せていた。店員約二百人、工員約千人。事業分野も、配線器具、電熱器、ランプ・乾電池、ラジオの四部門、製造品目

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経営者の孤独――経営の姿勢〈1〉

 戦後まもなくの話である。松下電器には個性の強い社員が多かったが、そのなかに仕事はできるが、非常に気性が激しく、喧嘩早い者がいた。    ある日、いつもの喧嘩相手

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