戦後まもなくの話である。松下電器には個性の強い社員が多かったが、そのなかに仕事はできるが、非常に気性が激しく、喧嘩早い者がいた。

 

 ある日、いつもの喧嘩相手の一人と仕事のことで大喧嘩をしたその社員は、自分のむしゃくしゃする気持ちを幸之助に訴えたい心境になって矢も盾もたまらなくなり、かなり夜遅くであったにもかかわらず、幸之助の所在を尋ね求めた。

 幸之助は滋賀県大津の旅館に一人で泊まっていた。何の前ぶれもなく、いきなりそこへ押しかけた社員は、とにかく聞いてくれと、胸にたまっていたうっぷん、不満をあらいざらいぶちまけた。話しているうちにポロポロ泣けてきて、涙ながらに訴えた。

 

 幸之助はその間、ひと言も口をはさまずにじっと聞いていたが、最後にぽつんと言った。

 「きみは幸せやなあ。それだけ面白うないことがあっても、こうやって愚痴をこぼす相手があるんやからな。ぼくにはだれもそんな人おらへん。きみは幸せやで」