昭和四十四年六月、幸之助は、ヨーロッパ視察の途中、西ドイツのハンブルク市に立ち寄った。そして、ハンブルク松下電器を訪ね、そこで日本から出向している駐在員との懇談会をもった。その席上でのことである。

 

 「ベルギー、オランダ、ドイツ、三カ国を訪問するなかで、できるだけ家電の販売店を見てまわる機会をつくってもらったが、わが社の商品はみなドイツやオランダのメーカーの商品に負けとるな。勝っているのは乾電池だけみたいやな。
 現地で苦労している皆さんにまことに申しわけないと思う。弱い商品を売るむずかしさ、それも外国で売るむずかしさは私なりによくわかっているつもりや。それだけに日夜がんばって販売に専念してくれている皆さんにはほんとうにすまないと思う。
 商品を強くすることが先決やな。そこでぼくに三年の時間をくれないか。帰国したら各本部長にぼくからきちんと言おう。『きみたちに三年の猶予をやろう。その間に、外国のどのメーカー、日本のどのメーカーにも負けない商品をつくってヨーロッパに届けよ』と。これはぼくの約束や」

 

 会議に出席していた駐在員にとっては、たいへんうれしい、ありがたい話であった。ところがそのあと、幸之助はこう言った。

 

 「一つきみたちにお願いがある。ぼくは三年間かけて強い商品をつくる約束をした。しかし三年たってよい商品ができたとしても、そのときそれを売りさばく販売店網がなければなんにもならない。今日、松下の販売店網は、ヨーロッパのどの国をとっても残念ながら弱い。これを強くしてもらう必要がある。この三年間でヨーロッパ各国の販売店網をもっと強くしてほしい。強い商品が出てきたときには、それをきちんと売れるだけの販売店網を、今から心がけてつくりあげてほしい」

 

 駐在員にとっては意外であった。弱い商品、負けている商品のままで販売店網を強くするなんて、そんな神業みたいなことができるのか、と感じた駐在員の一人が質問した。

 

 「会長、お言葉を返すようですが、先ほど、商品が弱い、負けているから、三年間辛抱してほしい、三年たったらきっと強い商品を届けようとおっしゃいました。ところがいま、その三年間で強い販売店網を育てあげてほしいともおっしゃいました。これは矛盾するのではないでしょうか。売るものがない、売るものが弱い、それでどうして強い販売店網ができるのでしょうか。強い商品があって初めて強い販売店網ができるのではないでしょうか。このへんを教えていただきたいと思います」

 

 沈黙が続き、会議室が重苦しい雰囲気に包まれた。やがて幸之助は、駐在員たちをひとまわり見まわしたあと、おもむろに口を開いた。

 

 「松下電器には、商品を売る前にきみたちに売ってほしいものがある。それは松下の経営理念や。松下の経営の基本の考え方や。商品を売る前に、お得意様に松下の経営理念を売ってほしい。松下の経営の考え方、精神を売ってほしい。それが松下の商売の基本や。今の商品でもこれならできる。いや今の商品よりも強い商品が出てくることがわかっていれば、なおのことこれができる。これを徹底的にやってほしい」