昭和二年に新設した電熱部は、幸之助が同じ大開町に住む友人である米屋の主人と共同出資のかたちで始めたものである。当初その経営は友人が受け持った。
 しかし、電熱部はスーパーアイロンという人気商品を出しているにもかかわらず、かなりの期間にわたって赤字の状態が続いた。やがて幸之助は、意を決して自分の思うところを率直に訴えた。

 

 「電熱の仕事はきみもやりたい、ぼくもええやろうということで始めたが、正直なところ失敗やったと思う。しかし、その原因はきみにあるのではない。ぼくが素人のきみに経営を全部任せきりにしていたのが原因だ。だから、この欠損は全部ぼくがかぶるから、きみにはこの際、手をひいてもらえんやろか。せっかく共同経営を始めたのに残念やけど……」

 

 心やすくしていた友人に対してではあったが、幸之助はきっぱりと言った。

 「一日考えさせてくれ」と言って友人が帰った翌朝の五時ごろ、幸之助の家の表戸をドンドンと叩く者がある。戸を開けると、その友人が思いつめたただならぬ表情で立っていた。

 

 「ゆうべは一睡もできず、夜通し考えたんやが、わしはどうしてもやめる気にはならん。決心した。米屋をやめてもかまわんから、もう一度やらしてくれんか」
 「………」
 「頼む!」
 「よし、そやったらきみ、いっそ松下に入らんか。うちの店員になってくれるというんやったら、きみに電熱部の仕事を改めて手伝ってもらおう。奥さんが米屋をやるぶんには一向にかまわんから」

 

 友人はその条件をのんだ。
 兼業の友人との共同経営というあいまいなかたちを改め、真剣に仕事に取り組むよき店員を得て再スタートした電熱部の経営は、その後ほどなくして軌道に乗った。