戦前のこと、ある電気器具をめぐって、業界で激しい過当競争が行なわれたことがあった。原価を十とすれば損を承知で八、七といった安値で売る。売れば売るほど損が出る。そんな安売り競争が一年近くも続いていた。
 しかし、各メーカーともそうそう損ばかりはしていられない。各社の首脳が一堂に会して、正しい姿にもどそうということになった。独占禁止法もない時代のことである。
 幸之助も小さいながら工場主の一人としてその会合に出席した。そして、正しい姿にもどすならば早いほうがよいということで、“即日実行”と決定された価格の値上げを約束どおり実行した。
 ところが、それから約一カ月半、幸之助がある商品についての打ち合わせを行なおうと、代理店を集めて会合を開いたときにこういう話が出た。

 

 「松下君、きみのところはけしからんぞ。あの電気器具についてはこのあいだ、どのメーカーも値上げすることになったということだが、即日値上げを実行したのは、きみのところだけだ。けしからん話じゃないか!」
 「ああ、そのことですか。それでしたら、今までの姿があまりにもメチャクチャでしたので、もとの正しい姿にもどそう、それを即日実行しようということで決まったのです。それで私はそのとおりしたのですが、何か……」
 「それは、そうかもしれない。しかし、よそのメーカーでは、一万個だけは前の値段で納めるとか、ひと月だけは前の値段でいきますとかいうように、みんな何らかのかたちで勉強している。私はきみのところから買っているが、きみのところだけ即日値上げするとはけしからんではないか」

 

 即日実行の約束は、各会社、工場の代表者が真剣に話しあい、検討し、その結果決めたことである。にもかかわらず、他のメーカーは、その約束を守っていないという。それを聞いて幸之助は驚いた。今、約束を守った自分が悪いように非難されている。そのまま黙っているわけにはいかなかった。

 

 「松下が即日実行したのは厳しすぎるといって、皆さんが私をお叱りになるのも一面ごもっともなことと思います。
 しかし、あれは男と男が約束して決めたことです。だから私は実行したのですが、それを他のメーカーが約束どおり実行していないということを私はきょう初めて知りました。もし皆さんが、そういう約束を実行しないメーカーのほうを頼りにされるのであれば、しかたありません。もうその品物は他から買ってくださって結構です。
 私は、それは男と男が交わした正しい約束だと思っています。その約束をキチッと守った私が好ましくないというのなら、以後お取引きしていただけなくても、それはそれでしかたがありません」

 

 幸之助がそう言うと、それまで盛んに苦情を言っていた人たちも、「それは松下君、きみのほうが立派だ。なるほどよくわかった。これからもきみのところで買うことにしよう」ということになって、かえって松下電器に対する信用が高まった。