自らが創設したPHP研究所が30周年を迎えた昭和51年、松下幸之助は、21世紀初頭の日本はこうあるべきだ、こうあってほしいとの願いをこめて『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』という本を出版しました。それは未来小説という体裁をとっていますが、いわば松下幸之助の提言の集大成ともいえるものでした。
 松下幸之助が描いた「理想の日本」「理想の日本人」とは、いったいどんなものだったのでしょうか。

 

日本の景観美は世界一 なぜそれを生かさないのか 【自然観1】 からのつづき

 

松下幸之助が描いた21世紀の日本

過疎過密のない国――part2

 昭和四十年代に入ると、日本経済は飛躍的な成長をとげた。だがその成長の陰では、公害による環境破壊、自然破壊が進んでいた。美しかった海岸には工場が乱立し、廃液によってきれいな川や海が失われ、自動車の増加等による大気汚染は山々の木々を蝕んだ。さらに公害はさまざまな病気を生みだし、多くの人々の体をも苦しめた。松下幸之助が、世界で一、二を競うものだと誇った日本の自然、景観美は、少しずつだが着実に失われていた。これでは観光立国どころの話ではない。
 松下幸之助は、こうした状況に対して強く警鐘を打ち鳴らした。昭和四十六年(一九七一)の『PHP』二月号誌上においてこう述べている。

 

 「いかに産業の振興が重要であるといっても、それによって一方で美しい自然を破壊し、人間が苦しむような姿を生み出しているとするならば、これはあらためて考え直してみなければなるまい」

 

 もちろん産業の振興は、日本経済の発展、人々の暮らしの向上のために是非とも必要である。だが、いかに重要でも、それが美しい自然を破壊し、人間の体を蝕むことになるのであれば本末転倒である。それは松下幸之助が願った住みよい国土ではない。さらに、日本の優れた景観美を失うことは大変な損失である。それは、せっかくの天与の財産をドブに投げ捨てるようなものであろう。
 「もしかりに人間の力で瀬戸内海を一からつくろうとしたならばどうなるか」と松下幸之助はいう。土を掘り、そこかしこに変化に富んだ入江をつくり、外海から水を流す。さらにはそうしてできた内海のあちこちに松を抱いた美しい島々を点々と配する。そうした大事業を敢行したとすればどうなるか。それには、当然莫大な費用と長い歳月が必要となるにちがいない。いや、もしかすると、どれほど費用、歳月をかけても人間にはつくれないかもしれない。

 

 松下幸之助は強く訴える。それほど価値のある日本の景観美、自然というものを私たちは無駄にしているのではないか。そして、世界に誇れるこの日本の景観美こそは、国民が一体となって守り育ててゆかなければならない貴重なものであり、それはわれわれ日本人の尊い義務であり責任なのではないか、と。

 

道州制を採用し過疎過密のない国土に 【自然観3】 へつづく

◆『[THE21特別増刊号]松下幸之助の夢 2010年の日本』(1994年10月)より

 

筆者

大江弘(PHP研究所社会活動部長)

 

筆者の本

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関連項目

松下幸之助の社会への提言「観光立国への提言」
松下幸之助の社会への提言「私の夢・日本の夢 21世紀の日本」
松下幸之助の政治・経済・社会・国家観
松下幸之助のPHP活動〈21〉「『観光立国の弁』とその反応」

 

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