企業がその努力によって剰余金を積み立て、企業体質を強めていくように、国家予算の単年度制を廃止し、経営努力により、予算の何パーセントかの余剰を生み出し、積み立てていく。そして、その積み立てた資金を運用し、金利収入によって国家を運営する。そのような国家のダム式経営によって、無税国家、収益分配国家を目指そう。

 

百年、二百年かけて“無税国家”の建設を

発表媒体

Voice』1978年7月号 「二十一世紀をめざして」

 

内容抄録

 いまの日本の財政制度は単年度主義といいますか、予算できめた金額はその年度内で使い切らなくてはいけないわけです。予算を厳正に使うためにそういう制度にしたのでしょうが、余すと次からの予算獲得にマイナスになるということで、時には必要のない出張などをすることもあるときいています。そういうところに一面ムダがあるとも考えられます。

 だから、一年ごとに予算を使い切るのでなく、むしろそれを節約して収益というか、剰余金を出すような制度にしてはどうかと思うのです。仕事のやり方を効率のいいものにして、やるべき仕事はキチッとやる。その上で、なにがしかの剰余金を生むようにし、それを積み立てていくのです。

 

 事業経営においては、そのようなことを実際にやっている会社が現にあります。非常な経営努力をして適正利潤をあげる。その利益の半分あまりは税金として国家社会に還元し、また資本を出資してくれた株主にも十分な配当をして酬いている。そしてその残りの剰余金を長年にわたって積み立てていく。そのようにして、資本金の何倍という大きな蓄積を持つにいたっているところがあります。

 国の財政でもそれと同じことができないでしょうか。もちろん企業経営と国家経営とではそのまま同日に論じられない面もあるでしょうが、経営というその本質においては企業も国もいっしょだと思います。ですからやり方次第、考え方次第では、年々の剰余金を積み立て、それをもとに“無税国家”といいますか、さらに一歩進んだ“収益分配国家”ができるはずです。

 

 ただこうしたことは、一朝一夕にできるものではありません。企業でも今日大きな蓄積を持っているところは、やはり一年や二年でなく、十年とか十五年という長い間にわたって利益の一部をコツコツと積みあげてきた結果なのですから……。

 そうしたことを考えても、いまからそのような方針を決めて実行していけば、百年、二百年の後には無税国家、収益分配国家という姿が十分実現できると思うのです。