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松下政経塾 塾長講話録
目次
発刊にあたって | |||
その一 加藤清正のように——入塾式訓話—— | |||
きびしい選考をへて入塾 | 14 | 卒塾後、すぐに文部大臣でも | 16 |
やれば必ずできる | 19 | ||
その二 まず人間の把握から | |||
PHP研究から生まれた政経塾 | 24 | 教育は普及したけれど | 27 |
政党は候補者不足 | 30 | 自分の言動が自分の未来をきめる | 32 |
「無税国家」は実現できる | 35 | 羊飼いは羊を知っている | 37 |
政経塾は自分で悟るところ | 40 | 知識の奴隷になるな | 42 |
その三 自分を知って | |||
死ぬ気で出た入塾式 | 48 | 一度は政経塾設立を断念 | 50 |
反対した人も今度は賛成 | 52 | もし、若返ることができるなら | 54 |
預かり料を取るスイスの銀行 | 57 | 二十代で天涯孤独の身 | 59 |
ひもじい生活の少年時代 | 61 | 夜は涙にくれた奉公当初 | 63 |
盲人でも立派な「口入」に | 65 | 自転車店をやめて電気を志す | 67 |
電灯工事で世間を知る | 70 | 異例の若さで検査員に昇格 | 73 |
肺を病んで不思議に助かる | 76 | 運が強くなくてはダメ | 79 |
自分を知り相手を知る | 81 | ゴールデン・ゲートにビックリ | 83 |
やっぱり政治が大事 | 86 | 日本は一番繁栄していい国 | 88 |
中国はこれから発展する | 91 | 素直な心の初段になれ | 92 |
迷うほど偉大なものが生まれる | 96 | ||
その四 世界人類のために | |||
商売を通じて政治を考える | 100 | 国鉄は高い運賃で赤字 | 102 |
いまは志の遂げやすい時代 | 104 | 憲法も十年ごとに検討が必要 | 106 |
二十一世紀はアジアの世紀 | 109 | 個人的な希望を一歩踏み越えて | 111 |
無限の可能性にいどむ | 114 | 太閤さん以上のことができる | 116 |
道にかなっていれば成功する | 118 | 顧問をクビになったお坊さん | 121 |
自分一人のために朝夕勤行 | 123 | 病身が戦争を機に健康に | 125 |
「天寿」は百六十歳 | 127 | 半年検討した「新しい人間観」 | 129 |
宗教界の人々も賛成 | 134 | 意志があれば必ず成就する | 137 |
区会議員選挙に出る | 138 | 一度の戸別訪問で二位当選 | 141 |
区会の同僚が会社の番頭に | 143 | 戦争で消えた二千万の財産 | 146 |
海軍の要請で飛行機生産 | 148 | 間違って財閥指定 | 150 |
PHPはわが救い主 | 153 | ||
その五 日本を知ってから海外へ | |||
掃除が完全にできるか | 158 | 海外・日本を四対六で | 160 |
知識でなく、実学で | 162 | 高まる日本への関心 | 165 |
世の中は思う通りになる | 167 | 工場実習で何を学ぶか | 170 |
徳を高めるコツは? | 172 | 軍事力のコントロールはできる | 175 |
保護色は自然の自衛力 | 177 | 軍需産業と技術の進歩 | 180 |
政治と経営は基本的に同じ | 184 | 何にでも対応できるように | 186 |
死後の霊魂はどうなる | 188 | ||
その六 天命に生きる | |||
うまくやっているのでしょう | 194 | とにかくがんばっていきたい | 195 |
自分は日本に何ができるか | 197 | 「なりきる」ことが大切 | 200 |
一生懸命迷っている | 201 | サラリーマンと比べて | 203 |
問題意識にもどって | 206 | 肌で味わい、舌で味わう | 208 |
大きな期待を感じる | 210 | 心配するのが社長の仕事 | 213 |
悩みや煩悶もあっていい | 216 | 政経塾は「言い出しべえ」 | 218 |
信ずるところ、ものが生まれる | 220 | 塾是のほんとうの意味は | 222 |
もっと苦労しなくては | 226 | すべてを許容していく | 229 |
絶対の悪も絶対の善もない | 231 | 迷わず電機一筋に | 233 |
目に見えない力が | 235 | 両親を感心させられるか | 238 |
百年後の日本の青写真を | 240 |
まえがき
発刊にあたって
先に松下政経塾における役員、講師の諸先生のお話をまとめた「講話録」を二冊にわたって発刊したところ、いずれも好評で、非常に多くの方々がお読みくださり、大変参考になったというお便りも少なからずいただいた。実は私は、最初に「講話録」を手にした時に、「これまで松下政経塾は二十三人の塾生の研修の場と考えてきたけれど、この本が出ることによって、読者の人もいわば塾生の立場に立つことになる。だから、政経塾は相当たくさんの人の勉強の場としての役割を果たすことになる」という意味のことを考えた。それだけに、同書が多くの方々に読まれ、お役に立っているのはまことにうれしいことである。
ところが、そのように「講話録」が読まれてくるにつれ、その一方で「他の役員、講師の人の講話は実にいい内容だが、塾長である松下さんはどういう話をしているのか」ということを、いろいろな機会にたずねられるようにもなってきた。早く言えば、塾長である私の「講話録」も発表せよということである。
もちろん、私も塾長である以上、時折塾へ行って塾生諸君に話をしている。しかしながら、これといった学識もない私のことだから、他の諸先生のようなまとまった話はできにくい。勢い、過去の体験なり、いまの社会に対する自分の思いというものを断片的に語り、それをもとにして塾生諸君と懇談するというようなかたちにならざるを得ない。
そういうことで、私の話を発表することはいささかはばかられるのである。しかし、また一面に考えてみると、この松下政経塾において、塾長と塾生とが何を考え、どのような話をかわしているかを多くの人に知っていただき、それに対していろいろな助言をいただくことは、いわゆる衆知を集めた塾の運営を行なっていく上で、きわめて大切なことのようにも思われる。そのような意味から、つたない私の話であり、また塾生諸君も入塾して日も浅く未熟ではあるけれども、そのありのままのやりとりを、あえて公開することにした次第である。
したがって、先の二冊の「講話録」のようにお役に立つものとは申しかねるが、本書をご一読いただき、松下政経塾および塾生諸君に対して、何かとご教導なり、ご声援をいただくことができればまことに幸いである。
昭和五十六年三月
松下政経塾塾長 松下幸之助