年 | 年齢 | 事項 |
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1894年(明治27年) | 11月27日和歌山県海草郡和佐村字千旦ノ木で松下政楠、とく枝の三男として出生 | |
1899年(明治32年) | 4 | 父・政楠が米相場に失敗、和歌山市内に移住 |
1900年(明治33年) | 5 | 次兄病没 |
1901年(明治34年) | 6 | 和歌山市雄尋常小学校入学 長兄、次姉相ついで病没 |
1902年(明治35年) | 7 | 父・政楠、単身大阪に移住、私立盲唖院に奉職 |
1904年(明治37年) | 9 | 雄尋常小学校を4年で中途退学、単身大阪に出る 大阪市南区(現中央区)八幡筋宮田火鉢店に奉公 |
1905年(明治38年) | 10 | 大阪市東区(現中央区)船場堺筋淡路町、五代自転車商会に奉公 |
1906年(明治39年) | 11 | 父・政楠病没 |
1910年(明治43年) | 15 | 五代自転車商会をやめ、桜セメント(株)の臨時運搬工となる 大阪電灯(株)に内線係見習工として入社 |
1911年(明治44年) | 16 | 内線係見習工から最年少で工事担当者に昇格 |
1913年(大正2年) | 18 | 大阪市関西商工学校夜間部予科に入学 母・とく枝病没 |
1914年(大正3年) | 19 | 大阪市関西商工学校夜間部本科中退 |
1915年(大正4年) | 20 | 9月4日井植むめの(19歳)と結婚 |
1916年(大正5年) | 21 | 改良ソケットの実用新案を出願 |
1917年(大正6年) | 22 | 工事担当者から最年少の検査員に昇格 大阪電灯(株)を退社 大阪府東成郡(現大阪市生野区・東成区)猪飼野でソケットの製造販売に着手 |
1918年(大正7年) | 23 | 3月7日大阪市北区(現福島区)西野田大開町に松下電気器具製作所創立、アタッチメントプラグ、二灯用差込プラグの製造販売を始める |
松下幸之助年譜
独立開業まで(〜23歳)1894年 - 1918年
松下幸之助の歩んだ94年間の人生を、独立・松下電気器具製作所(のちの松下電器産業)開業まで、同社長時代・終戦前、同社長時代・終戦後、同会長時代、同相談役時代の5つに分けて、写真とともにたどります。