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仕事の夢・暮しの夢
【文庫版】目次
文庫版刊行にあたって | |
刊行のことば(旧版) | |
まえがき(旧版) | |
私の事業経営論 | 17 |
天の摂理九〇パーセント/みみっちい多額納税日本一/ワンマンならざる命令者/三種の神器論/ムダなもののない世の中 | |
“のれん”に生きる大阪商人 | 25 |
可愛がられた小僧時代/おしんこだけの朝飯/一挙四得の煙草屋/世の中の一つの姿/きびしいシツケ/講談本から得た学問/大阪の正月/楽しい初荷の手伝い/“のれん”に生きる | |
人生を楽しむ私の事業信念 | 37 |
自転車屋から配線工に/楽しかった検査員生活/会社をやめて一人だち/七十五円の資本で独立/自転車ランプの考案/思いきった売出し策/年に二千七百の新案特許/貧困を克服するために/魂の入った膨脹 | |
私の闘病戦術 | 54 |
健康と不健康/まっさおになった顔/死なば死ねのクソ度胸/商売をはじめた動機/病身者の経営法/私の夢の哲学/天は一物を与える | |
商売のコツを教わった二人の恩人 | 67 |
根っからの大阪商人/三十六枚の手形/本当の商売人/奥さんの指環/生きた教訓/度胸のある商売のやり方/フォードの商法/大衆に親しまれる商売 | |
事業に失敗した話 | 80 |
素人の船つくり/六日で船をつくる/船大工と電気技師/べニヤ板の飛行機/三機とんだ軍用機/見せかけの松下財閥/人生で失敗する時期/自分を誇示したい心 | |
日本一の借金王 | 92 |
一番苦しかった頃/二つの幸福/日本一の滞納王/私のPHP運動/大事なものを大事にする/私の楽しみ | |
人を生かして使う法 | 103 |
陣頭指揮にもいろいろある/感激した青年社員 | |
不景気しらずの大阪商法 | 107 |
船場の商人気質/“暖簾”の吾平/不景気を克服するねばり/不景気しらずの法 | |
婦人の事業家 | 114 |
女性に適する事業/大阪女の土性ッ骨/旦那と商売人 | |
松下経済学第一課 | 120 |
しいたげられた消費/生産の喜びから消費の喜びへ/物が余って苦しむ特代/どれだけもうけたらよいか/松下経済学の実際/見込み生産の技術/商売の秘訣/経営者の責任/耐乏生活で失敗した英国/繁栄の原理/耐乏生活の大きな欠陥/私の夢/文化生活とは何か/職種をふやせ | |
使う人、使われる人の考え方 | 142 |
七分三分の責任感/声なき国民の声/経営の臨床的研究/善悪観の混乱時代/給与の適正化/人使いの難しさ/第二の天性/社会は求めている | |
フィリップス社の教訓 | 156 |
割カンで国栄える/四十八カ国にある工場/オランダを牛耳る水利大臣/日本の土地は一千倍になる/間違っていた日本貧乏論/人間という名の宝物 | |
社長の月給は安すぎる | 168 |
社会生活の土台/アメリカはなぜ繁栄するか/賃上げ闘争の考え方/初任給の三百倍のソ連/重役の考え方の悪化/政治を誤るモトは何か | |
金についての考え方 | 179 |
金は仕事の潤滑油/金もうけの正道と邪道/金は天下のまわりもの/必ず金を借りる法/金を生みだすもの | |
尺取虫の経営戦法 | 188 |
勝って兜の緒をしめる/人間性の本質/バランスのとれた国/オランダに学ぶもの | |
台風産業株式会社の設立 | 196 |
台風を金にかえる法/日本をすくう観光事業/感心したアメリカの共同便所 | |
四つのHが表わす生活信条 | 203 |
連続豊作の原因/五十カ国に及ぶ四Hクラブ/四つのH/明日の農村の姿 | |
金儲け確保省をつくれ | 212 |
天狗になっている日本/貿易せずとも国はつぶれぬ/美徳のよろめき/恒産あるものは恒心あり/権力のおこす罪悪 |
まえがき
文庫版刊行にあたって
月日のたつのは早いもので、本書を実業之日本社から出版していただいてから、すでに二十五年の歳月が流れた。その間、思いのほか多数の方々にご高覧いただくことができ、恐縮もし、感謝もしつつ版を重ねてきたが、このたび、新たにPHP文庫として刊行されることとなった。
本書は、私がまだ松下電器の社長として、第一線で仕事に当たっていた頃、日々の仕事や暮しの中で折々に感じたことを、思うままにまとめたものである。
その頃の日本は、“もはや戦後ではない”といわれ、国民の生活もかなりの水準にまで達していたが、それでも、まだまだ貧しく、欧米先進国に追いつこうと、人も企業も懸命な努力を重ねていた。もちろん、私も、その一人であった。
幸い、今日、わが国は、国民のそうした努力に加えて、諸外国からのさまざまな援助や協力もあり、世界の総生産の十パーセントを占める経済発展をみるまでになった。町には物があふれ、あらゆる面で生活は便利になり、向上した。あの当時を思うと、“よくぞここまできたものだ”と、感無量の思いを禁じえない。
当時とは、まさに隔世の感がある世情ではあるが、社会の各面で新たな問題も生じ、新しい世紀に向けて、さらに物心ともに豊かな生活への努力がわれわれ一人ひとりに求められているように思われる。
この私のささやかな体験にもとづく本書が、今を生きる皆さん方に、特にこれからの時代を担う若い方々に、いささかなりともお役に立てばと願っている。
昭和六十年十一月
松下幸之助
まえがき(旧版)
私は数え年十一の時に、大阪に奉公に出て以来、いわゆる学問らしい学問をする機会には、ほとんど恵まれなかった。従って、学問知識という点においては、私は決して人並みとはいえない。
しかしながら、奉公先で、手をとってあいさつの仕方を教わったのを始めとして、今日まで、ずいぶん多くの人々から、いろいろのことを教えられた。さらに自分で仕事を始めるようになってからは、仕事からもまた多くを学んだ。
こうして、人に教えられ、世間に教えられ、仕事に教えられつつ今日に至ったわけで、私が多少とも、世に立てるようになったのは、こうした多くの教えの結果である。この点、私は、世と人と仕事に対して、深い感謝の念を持たざるをえない。
たまたま実業之日本社の求めによって、“軒燈放談”と題して、やく一年にわたって、私の所信の一端を連載したが、このたびさらにこれをまとめて一本にすることになった。おこがましきかぎりともいえるが、もし、大方に何らかのご参考になるとしたならば、世と人と仕事に対するささやかなご恩返しともいえるであろう。
本書を通じて、さらに多くのご叱正、ご教導を賜わらば望外の喜びである。
昭和三十五年二月一日
松下幸之助