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私の行き方 考え方
【文庫版】目次
文庫版発刊にあたって | ||
刊行のことば(旧版) | ||
まえがき(旧版) | ||
第一篇 | 創業前史——大正七年ごろまで | |
第一章 | 私の少年時代 | 14 |
生いたちの記/大阪へ初めて奉公に出る/火鉢屋の小僧/自転車屋の小僧 /父の諭し/自転車の初商売/父の死 | ||
第二章 | 電器事業への目ざめ | 36 |
奉公先から暇をとる/大阪電燈に見習工として入社/担当者に昇格する/電気工事人としての思い出/下宿から夜学へ通う/私の結婚 | ||
第三章 | 独立自営の決意 | 60 |
事業開設の意気に燃える/ソケットの製造に着手/苦心作売り込みに苦慮 /最初の受注に張り切る | ||
第二篇 | 創業時代——大正七年から昭和二年ごろまで | |
第一章 | 大開町移転 | 78 |
アタチンの製作を始める/仕事の苦楽/二、三の断想/東京に駐在所を置く/歩一会の誕生/石の上にも三年 | ||
第二章 | 事業の進捗 | 105 |
月賦払いで新工場を建設/無理のない進み方/電池ランプの試作に成功/製品なりたちの苦心/ランプを無料で置いてまわる/代理店販売制度を計画する | ||
第三章 | 関東大震災以後 | 137 |
関東大震災起こる/人を使うということ/再び東京出張所を開設する/代理店会を初めて開催する/販売区域の問題やっと解決 | ||
第四章 | 反省と信念 | 157 |
加藤大観先生と私/中尾君のことども/つくることと売ること/区会議員選挙に出て感銘する/二十人中第二位にて当選 | ||
第三篇 | 伸展時代——昭和二年から昭和七年ごろまで | |
第一章 | 業容伸張時代 | 186 |
経営方針をさらに深慮する/ランプの販売権を買い戻す/ナショナルのマークとナショナル・ランプ/電熱部門の伸展/スーパー・アイロンの試作販売に成功/電熱部門を自己経営に戻す | ||
第二章 | 住友銀行との関係 | 214 |
金融恐慌起こる/住友銀行と取引きを始める/長男の死 | ||
第三章 | 一般的不況とわが社の発展 | 228 |
新工場の建設/未曽有の不況を突破/不況に処する私の信念/合成樹脂界へ進出 | ||
第四章 | 事業と人材 | 244 |
公的な観点に立てる経営の理念/人材の登用に新方針 | ||
第五章 | ラジオ界進出と乾電池の生産 | 251 |
ラジオ・セットの製作を決意/新セットを販売網にのせる/ナショナル・ランプの盛況/乾電池工場の直営 | ||
第六章 | 命知と創業記念日 | 277 |
店員訓育の信念/知人に宗教をすすめられる/経営上への示唆/経営の真髄に思いをいたす/第一回創業記念日を迎える/全従業員の感激 | ||
第七章 | 新気風 | 303 |
春季運動会に新機軸を画す/人を得るということ/店員養成所の建設へ/本店建設と移転/遵奉すべき精神 |
まえがき
文庫版発刊にあたって
私は、今年の十一月二十七日で満九十二歳になる。生来、どちらかといえば蒲柳の質で、若い頃、肺尖カタルを患い、医者から、とても五十歳まではもつまい、と言われていた。だから、これほどまでに長生きできるとは思いもよらなかったことで、まことにありがたいことと言うほかはない。
明治二十七年に和歌山県で生まれた私は、九歳のとき大阪に奉公に出てきた。それから八十三年、実にさまざまな人や出来事に出会い、いろいろなことを学ばせていただいた。
健康の面でも、学問や才能の面でも、人より決して恵まれているとは思えない私が、今日、ここにこうしてあるということは、ひとえにそうした多くの方々、さまざまな出来事に導かれ、励まされてのことであり、いまはただすべてに感謝したい気持ちでいっぱいである。
本書は、仕事を中心とした私の四十歳頃までのいわば“半生の記”で、昭和三十七年、実業之日本社から出版していただいたものである。私の人生の歩みも、すでにこの書に記されていない部分の方が長くなってしまったが、いま、あらためて本書を読み返すと、感懐ひとしおなるものがある。つたない私なりの行き方、考え方ではあるけれども、何らかのご参考となるならば、まことに幸いである。
昭和六十一年七月
松下幸之助
刊行のことば(旧版)
私はまえに、『物の見方 考え方』など何冊かの本を実業之日本社から刊行した。各方面のみなさまから、予想外の好評を得て、とぼしい自分の体験を語ることも、それはそれなりに、多少の意義があることを知った。
本書は戦前、私どもの会社の社内報に連載し、また社内版としてのみ頒布した旧稿であるが、周囲からの再三の要請もあって、昭和三十七年、その要請をお受けし出版したものを、今回発行元の求めにより再び改版発行した次第である。
この際特に、実業にたずさわる若い人々に広く読んでいただければまことに幸いである。
昭和四十三年五月
松下電器創業五十周年に際して
松下幸之助
まえがき(旧版)
私は現在、松下電器を主宰しているが、どうして今日に至ったか、その事業経営の秘訣を語れと、時々人から尋ねられることがある。
だが私には別に秘訣というものがあったわけではない。一日一日を累積していつのまにか今日に至ったわけで、したがって私の事業についての考え方なり、人生の歩み方を語ろうとすれば、自然この一日一日を語ってゆくほかないと思っている。
たまたま知人から、私の半生の記録を世に出しては、という話が出た。が、何分にも日々社務に追われ通しの昨今、とてもこれをまとめるだけの時間もなく、なかばあきらめたが、たってのすすめに、以前、社員に話した原稿があったので、とりあえずこれに若干の筆を加え、註を附して出版することにした。
これは、昭和十年から十九年にかけて、当時の社内雑誌であった「歩一会会誌」に連載したもので、社員に、経営者としての私の生いたちや行き方考え方を理解してもらうつもりで語ったものである。
したがって多分に事業中心であり、また今日から見れば、言い足りない点も多く、書き直したい個所も少なくない。しかし、この中に出ている私の事業観なり人生観は、今日も少しも変わりないと思っている。
もっとも本書の内容は、私の生いたちから昭和七年ごろまで、すなわち四十歳ごろまでの話で、自叙伝としては、いわば第一巻とも言うべきものである。したがって今後、時があればこの続きを語らねばならないと思うし、またこれとは別の観点から、人生観を中心とした私の生活記録といったものをまとめてみたいと考えている。
私は今年五十九歳になる。九つの歳に初めて大阪に奉公に出てからちょうど五十年の月日が流れた。紅顔の少年も、いつのまにか白髪を交えるようになったが、省みれば多くの人々にずいぶんとお世話になった。
この機会に、これらの人々に心からお礼申し上げるとともに、今後とも変わらぬご指導ご叱正をお願いしてやまない次第である。
昭和二十九年五月五日
西宮・光雲荘にて
松下幸之助