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著作から見た松下幸之助の世界

一日本人としての私のねがい

一日本人としての私のねがい 一日本人としての私のねがい  
昭和43年
実業之日本社 刊
新書判
232ページ
昭和61年
PHP研究所 刊
文庫判
192ページ
 

 

一日本人としての立場から、わが国の真の繁栄・発展、お互い国民の真の幸福実現への道を考える。

 

PHP Interface PHP研究所

【文庫版】目次

文庫版発刊にあたって
まえがき(旧版)
一日本人としての私のねがい11
不安定な国家経営/教育普及度と国民所得/アンバランスを生むもの/食糧を求めつつ再建/主催者として考えよう/デモの先頭に星条旗/真の責任意識を持て/遅れている社会施設/なんのための自由か
道義、道徳を確立しよう29
忘れられている徳育/繁栄・平和・幸福をもたらす道徳/人間には善悪二面の心がある/教育は教え、導くものである/適数の悪は必要/いまこそ道徳教育を
日々に新たに43
万物は対立しつつ調和する/商売も対立と調和で/労使関係の近代化を/面喰った組合結成大会/重大な組合リーダーの責任/衰退を招く固定化/すべての物は消滅する/今日はテンポの速い時代
明治百年に思う59
伝統に輝く日本/すぐれた日本人の素質/「和をもって貴し」とする日本人/植民地を解放した日本/日本独自のものをつくろう/民主主義の消化を
新しい日本と福祉国家73
ある水準に達した福祉/福祉国家の狙いと限界/福祉国家を生む教育/経営、管理の生産性を高めよ/新しい日本は若人の手で
政治はいかにあるべきか85
政治にもっと関心を/年俸三千万円だった大石内蔵助/生産性が上がって収入がへる/戦前に比べ倍加した税率/有効に使われていない税金/適材適所を実現しよう/政治家は公僕ではない/道は開ける
社会の生産性を高めよう108
物価は下がるのが原則/生産性の向上を/忘れられている心/教育のヒズミを生むもの/文明の利器が重みに/進歩に応じた利益を
繁栄のための適正経営を127
復興、発展はしたけれど/好ましくない経済上の鎖国/非能率を生む無理な企業合併/国営企業というもの/なぜ好況下に倒産がふえるのか/害あって益なしの過当競争
難局に道をもとめる147
不況の中にあっても/困難は天のはげまし/危険な信用膨脹/やればできる堅実経営/自主独立の精神こそ
人を育てる経営のあり方163
人材を育てるために/曖昧な日本の旗印/揺れ動く世界と日本の“繁栄”/他山の石、英国の姿/人材育成は企業の正しい姿から/共存共栄で日本の繁栄を
経営は総合芸術なり178
経営は価値高い営み/経営は一種の創造活動/経営は総合芸術である/経営に対する価値認識を

まえがき

文庫版発刊にあたって

 満九歳のとき、大阪に奉公に出てきてから、実業の道一筋に歩んできた私が、広く政治や社会に眼を向けるようになったのは、あの世界大戦直後である。
 混乱と貧困を目のあたりに見て、“人間というものは、繁栄、平和、幸福を願いながらも、どうしてこのような不幸な姿に陥るのだろうか。果たして、これが人間本来のあるべき姿なのか”という疑問をいだき、やむにやまれぬ気持からPHP研究所を設立、物心両面の繁栄を生み出すための人間と社会のあり方を研究し始めた。その過程で、政治が良くなり、社会が良くならなければ、企業の発展も人びとの幸せもない、だから実業人といえども、一方で本分に徹しつつ、一方で国家社会のあり方にもっと強い関心を持ち、積極的に言うべきは言わなければならないと考えたのである。
 そんなことから、その後私は乞われるままに、いろいろなところで国や社会に対して願うことを話したり書いたりしてきたが、本書は、その一端をまとめ、明治百年に当たる昭和四十三年に実業之日本社から出版していただいたものである。
 改めて読み返してみると、もうかれこれ二十年も前に述べたことなので、現在の日本の状況とはずいぶん違っているところもあるが、ここに述べたよりよき日本への私の願いは、いささかも変わっていない。いや、むしろ、あの頃以上にむずかしい問題をかかえているいま、その願いはますます強いものがある。本書を文庫本として新たに発刊する一つの意義も、その辺に見いだすことができようか。
 ご一読いただき、ご意見ご感想をお寄せいただければ幸いである。

  

昭和六十一年五月
松下幸之助

まえがき(旧版)

 日本は明治維新から百年の歴史をあゆんできた。この百年の間には、三度の大きな戦争もあったし、いろいろと問題も少なくなかったと思う。それでも、廃藩置県に始まって、政治の上にも、教育、産業、あるいは社会制度の上にも、次々と新しいものを生みだしつつ、幾多の問題を克服して、今日にいたっている。
 あの壊滅的とさえ思われた太平洋戦争の傷あとも、今日ではおおむねいやされ、むしろそれを転機として、より大きな発展をなしとげたと言ってもいいと思う。
 そういう百年のあゆみをふりかえってみると、私は、それを生みだした日本人の伝統の精神力というか、長い歴史に培われたすぐれた素質というものをしみじみと感じるのである。
 とはいうものの、今日の発展の姿の反面には、いろいろなヒズミがみられ、しかも、それが刻一刻と増大しつつあるのではないかと思われる。この明治百年は、お互い日本人が、そういうことをよく考え、伝統の素質の上にたって、よりよき日本をつくり上げていくための、一つの大きな転機ではないかと思う。また私自身、一国民としてそのことを痛感し、昨年来、乞われるままにそういう思いを話したり、また雑誌などにも発表してきた。
 たまたま実業之日本社から、そういうものを一冊の本にまとめてはどうかという熱心なお誘いをうけたので、それらを加筆訂正して、いわばご批判をあおぐ意味で、ここに発表させていただいた次第である。
 もちろん、ここにのべた多くのことについては、全くの門外漢である。しかし、今日においては、お互い国民ひとりひとりが、それぞれの職分に徹しつつも、一方で国家国民のあり方について、強い関心を持って、考えていくことも大いに必要なのではないかと思う。
 そういう意味において、この機会に、標題のように“一日本人としての”私のささやかな願いを率直に訴えることも、一つの意義があるのではないかと考えて、あえて、ご高覧に供することにした。考えの足りない点、また言い足りない点も多々あることと思うが、ご高評、ご叱正をいただければまことに幸いである。

  

昭和五十年四月
松下幸之助

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