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私の夢・日本の夢 21世紀の日本
【文庫版】目次
まえがき | ||
序 章 | 西暦2010年の日本 | 17 |
第一章 | 経済について | 29 |
不景気なき発展 | 30 | |
物価は本来下がるべきもの | 44 | |
力強い中小企業 | 62 | |
国営から民営ヘ | 77 | |
相手国優先の経済交流 | 87 | |
第二章 | 企業経営について | 101 |
企業の利益と社会的責任 | 102 | |
手形なき企業経営 | 122 | |
株式の大衆化 | 134 | |
ダム経営のすすめ | 153 | |
対立しつつ調和する労使 | 167 | |
第三章 | 教育、宗教について | 189 |
教育制度の改革 | 190 | |
自他相愛の精神を育てる | 206 | |
人間をつくる義務教育 | 221 | |
高等教育の新しいしくみ | 238 | |
人間の共同生活と宗教 | 251 | |
第四章 | 国土と社会について | 275 |
過疎過密のない社会 | 276 | |
美と調和の観光開発 | 295 | |
進む食糧のダムづくり | 309 | |
新しい国土の創成 | 323 | |
第五章 | 政治について | 343 |
国会議員とその見識 | 344 | |
議員選出の新しい方法 | 365 | |
政治家とその処遇 | 375 | |
治安の要諦 | 387 | |
自衛と安全 | 403 | |
日本納税者協会 | 416 | |
生きがいを伴う社会福祉 | 432 | |
生産性の高い政治 | 447 | |
人間本然主義の政治 | 463 | |
終 章 | 首相の演説 | 477 |
あとがき |
まえがき
いまからちょうど三十年前、昭和二十一年十一月三日に私はPHP研究所を創設いたしました。その創設の動機なり、当時のことについては、別著『PHPのことば』の中にやや詳細にのべておりますが、終戦直後の物心ともに荒廃、混迷した世の姿を見、また自分もその渦中にあって悩み、苦しんだ中から、“このままではいけない。何とかしてもっと好ましい世の中にしていく道を見出したい”と考えたのです。そして、そのような研究、運動を進めていくために一つの研究所を創設し、これに過去、現在、未来にわたる人間共通の願いともいうべき物心一如の平和(Peace)、幸福(Happiness)、繁栄(Prosperity)の頭文字をとってPHP研究所と名づけたわけです。以来三十年間、ささやかではありますが、世と人の繁栄、平和、幸福実現の願いに立って、研究、出版などの活動を続けてまいりました。
その間に日本はご承知のような目ざましい復興発展をなしとげました。戦災で破壊された街には立派な高層ビルが立ち並び、衣食にもこと欠いていたお互いの生活も豊かになり、経済は年々高度成長を続けて、日本は“経済大国”と称されるまでにいたったのです。
けれども、そのような急速な復興発展の一面に、そのヒズミともいうべき、さまざまな問題も生じてきました。公害であるとか、過疎過密、物価騰貴といった好ましからぬ現象が社会の各面に見られるようになっています。それとともに、経済というか物の面の急速な成長発展に対して、心の面、精神面の進歩向上がそれに伴わず、そこに物心のアンバランスが起こり、それからまたさまざまな弊害がもたらされてもいるわけです。
そしてそうしたことが、先年の石油危機を転機として一挙に表面化し、インフレと不況の並存というかつてない深刻な経済的困難に陥り、しかも政治や教育その他社会各面の混迷が生じてきて、高度成長を謳歌してきた日本は今日、終戦直後にも比すべき一つの大きな危機に立っているといえましょう。“これではいけない、このままでは日本は衰退し、お互いの不幸を招くばかりだ”というのが、心ある日本国民のひとしく憂うるところではないかと思います。
そのように、この三十年の間に、一方では非常に急速な成長発展をとげながら、結果として社会の各面に大きな混乱混迷を生み、せっかくの成果すらもこのままでは失いかねないといった事態を招きつつある原因はどこにあるのでしょうか。それは個々にはいろいろと考えられましょうが、その大きなものの一つは、戦後この方、日本の国として一つの明確な方針なり目標を持たなかったことではないかと思うのです。
“ともかくも日本を再建しなければならない。そのためにまず経済を復興させ、生産を盛んにして、お互いの生活物資をつくらなければならない”ということは、当時の国民が言わず語らずのうちにひとしく考えたとは思います。しかし、それはいわば必要にせまられてのことであって、しからばどのように復興再建を行ない、どういう好ましい国に日本をしていくのかといった明確な方針はなかったわけです。
ですから、その復興再建の過程においては、国民の働きというものも、それぞれが懸命に努力したとはいうものの、一面においててんでんバラバラであったということがいえると思います。そういう姿においてもなおこれだけの発展をなしとげ得たことは、先進諸国の援助協力とともに、やはり日本人が優秀であったからだと考えていいと思いますが、しかし、同時にそうしたことの結果として、物心のアンバランスをはじめ、各面に調和を欠くことになってしまったわけです。そういった各面のアンバランスが今日のこの深刻な危機を生んだ最大の原因だといえましよう。
そういうことを考えますと、現在の事態を打開し、今後の日本の安定発展を生み出していくためには、今日において、そのような日本の国としての方針、目標というものをはっきりと持つことが何よりも大切ではないかと思います。二十年後の日本、三十年後の日本をこのような国にしていくという目標を国民の合意によって定め、その目標に向かって、国民それぞれがそれぞれの場において努力していくということです。
これは私自身のささやかな体験ですが、私は自分の会社の経営においてそういうことをつねにやってきました。毎年一月の十日にその年の経営方針発表会を行ない、“今年はこういう方針でやろう。これだけの生産販売をしていこう”といったことを発表して、社員が心を一つにしてそれにあたってきたわけです。またその年の方針だけでなく“五年後にはこれだけの生産販売をやろう”とか“五年後に週休二日制を実現させよう”といった、五カ年計画というようなものを発表したこともたびたびあります。そのように発表された目標に対して、全員がそれぞれの場でそれをいかに達成していくかという具体的な方策を考え、実行していくことによって、それらの目標はすべてその通りに達成されてまいりました。
また、昭和七年には会社の使命、産業人としての使命を達成していくための二百五十年計画というものを発表し、その実現に努めてまいりました。すなわち、物資を水道の水のごとく豊かに生産し安価に供給することによって、この社会から貧困をなくしていくことをもって会社として産業人としての真使命と考えたのです。その使命の到達期間を二百五十年と定め、これを二十五年ずつの十節にわけて、当時の従業員はその最初の一節をになうことを自分たちの使命と考えて活動していこうと訴えたわけです。そのことによって、従業員の自覚も高まり、会社もそれまでにくらべて飛躍的な発展をとげることになりました。
“初めに言葉あり” という句が聖書の中にあるそうです。その宗教的な深い意味は私はよく知りませんが、私が経営においてやってきたのは、いわばそういうことだったのです。最初に一つの発想をし、それを“このようにしよう”ということばにあらわし、みんなで達成していくということです。
そういうことは、一国の運営においてもきわめて大切ではないでしょうか。これからの日本をどのような方向に進めていくかということについて、まず初めにことばでそれがはっきりあらわされる必要があると思うのです。そういうものを国民の合意によって、早急に生み出していかなくてはならないと考えます。
そのようなことを私は、最近つよく感じていたのですが、最初にものべましたように、たまたま本年はPHP研究所が創設三十周年を迎えました。ふつうの会社などであれば、こうした機会には、日頃お引き立てをいただいている各関係先に感謝の意を表しつつ、またみずからも祝うという形でなんらかの記念行事を行なうのが世の常であろうと思います。
しかしながら、PHP研究所の場合は、世と人の真の繁栄、平和、幸福実現のための研究、運動を行なっていくという創設の趣旨からしますと、そうした一般的な形の記念行事を行なうことも、それなりに意義あることではありますが、そのほかにより適切なものがありはしないかと考えたのです。
そこで、一つ、いまから三十年後の二十一世紀初頭における日本のあるべき姿というものを描き、これを書物としてまとめ発表することをもって三十周年記念事業の一つとしてはどうかと考え、所員の人びとにもはかったところ賛成を得、研究、検討を重ねた結果できあがったものが、この『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』です。
題名からも、またお読みいただいてもおわかりのように、本書の内容はいわゆる未来予測ではありません。“二十一世紀の日本はこうなるだろう”ということを学問的に予測したものではないわけです。そうでなく、“今日の日本にはいろいろと好ましくない問題が山積しているが、二十一世紀にはこういう好ましい状態であってほしい。またそういう社会を実現していかなくてはならない”という姿を物語風にというか、一つの想定のもとに日本語の会話体で描いたものです。(申すまでもなく本書に登場する人物はすべて架空のものです)
ただ、夢とはいっても、それは単なる荒唐無稽なユートピアとか、まったく実現不可能な空理空論というものではありません。考え方、やり方に当を得さえすれば、いまから三十年という時日の間に、そういう好ましい社会を実現できないことはないと私なりに考えた姿をそのままに描いているわけです。
もちろん、そうは申しましても、中には妥当性を欠くとか軽々しい判断をしているといった点もあろうかと思いますし、また限られた時間と紙数の範囲で書き記したものであり、大事な点に考えが及んでいないといった面もありましょう。そういった不十分な点は多々あろうかと思いますが、ここに描きましたような好ましい姿を生み出すことを、お互いが共通の目標とし、それぞれの立場立場において、その実現につとめていくならば、二十一世紀にはある程度調和のとれた国家としての日本を築きあげていくことができるのではないかと考えます。
そのような意味におきまして本書をご一読いただき、そこに多少とも興味を感じていただくことができましたら、まことに幸いです。
昭和五十一年十一月三日
松下幸之助