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これからの日本人へ 自分の生き方を問い直す311のメッセージ
目次
序にかえて | 1 | |
Ⅰ 日本人として生きる | 15 | |
第1章 | 困難に負けない日本人 | 17 |
国難のなかで | 19 | |
志はあるか | 24 | |
困難を超える | 28 | |
心を広げる | 32 | |
勇気と覚悟をもって | 36 | |
第2章 | 日本はよい国である | 41 |
日本よい国 | 43 | |
日本を愛する | 48 | |
日本人の自覚 | 52 | |
第3章 | いまを生きる、これからを生きる | 57 |
日々の生きがい | 59 | |
日に新たに生きる | 63 | |
人間としての成功 | 67 | |
運命を生かす | 70 | |
日本人の社会的責任 | 76 | |
Ⅱ 過去と現在と未来をつなぐ | 83 | |
第4章 | 歴史と伝統を受けとめる | 85 |
日本人の素質 | 87 | |
宗教と武士道と | 93 | |
敗戦と日本人 | 100 | |
戦前から戦後へ | 103 | |
第5章 | 日本の心と言葉をつなぐ | 109 |
日本に生きる | 111 | |
道義と礼節と | 119 | |
感謝と報恩と奉仕と | 124 | |
日本人の美徳 | 128 | |
Ⅲ これからの日本人へ | 135 | |
第6章 | 人間とはなにか | 137 |
人間を把握する | 139 | |
人間はえらいものである | 143 | |
日に日に生成発展 | 146 | |
人間の本質に生きる | 150 | |
真理の探究 | 154 | |
素直な心になる | 157 | |
第7章 | 教育について考える | 161 |
教育と人間 | 163 | |
道徳と教育 | 168 | |
人間の錬磨 | 171 | |
第8章 | 国家を愛してこそ | 175 |
国家の沈没 | 177 | |
旗印はあるか | 182 | |
今日の日本の姿 | 185 | |
理想社会の実現へ | 192 | |
◇ | 本書でとり上げた松下幸之助著作等一覧・内容紹介 | 200 |
◇ | 発言記録の出典一覧 | 202 |
序にかえて
❖震災と困難と松下幸之助
あの「3・11」以降、私たち日本人は「国難」という言葉をしばし耳にするようになりました。それから半年以上も経ち、被災された方々と多くの日本人が心と力を寄せ合う姿によって、その言葉は次第に遠のいていく感があります。しかし直面する社会の現実は厳しく、とくに国内政治の迷走によって、複雑に絡み合った多くの「困難」が次々に噴出してきている様相も目に入ってきます。
本書に集められた311のメッセージ――その著述者である松下幸之助は、日本人が体験した歴史上おそらく最大の国難を経験した人間の一人でした。あの太平洋戦争敗戦という事態によって、経営者としてみずからの進退が窮まるほどの困難を経験しました。そして、その後に遭遇した数々の危機・困難を克服し、経営の神様と称されるようになるまでには、長い人生の道程がありました。その波瀾万丈の人生のなかで遭遇した、大震災時におけるこんな逸話が残されています。
「さすがにあのような偉い人でも、心ここにあらずということが、われわれの目にもありありと映った。例の関東大震災――耳に入ってくるのは、流言蜚語ばかり。仕事の話をしていても、大将の心はうわの空」(『叱り叱られの記』後藤清一著、日本実業出版社より)――この偉い人、大将といわれている人物が、じつは松下幸之助であり、時は1923年、M7・9という関東一円に大被害を及ぼした震災直後のことでした。
当時28歳の松下にとってまさに片腕的存在であり、東京に単身でのりこんで販路開拓に精を出していた井植歳男氏(義弟)の消息が途絶えたときの状況を、松下が信頼していた部下の一人が自身の回想記にそう記しています。そしてその後一週間ほどして、なにごともなかったようにひょっこり帰ってきた井植氏の姿に、松下は、妻むめのとともに涙したといいます。彗星のごとく現れたベンチャー起業家として名を馳せていた青年実業家も、身内の消息不明という事態に突如いきあたって、動揺を隠しきれなかったのでしょう。不安が頭から離れず、仕事が手につかない、心配でならない……、ごく等身大の、一人の人間・松下幸之助がそこにいました。
「困っても困らない」「好況よし、不況またよし」といった数々の困難克服の名言を残した経営者も、青年時代からそうした泰然自若、融通無碍の心境を持していたわけではなかったのです。松下幸之助も、最初から「松下幸之助」ではなかったのです。
(中略)
❖これからの日本と日本人がなすべきこと
日本人が決して忘れることのできない日となった、あの2011年3月11日から、いまも、被災された方々と多くの人々が心と力を寄せ合いつつ、復興への道のりをともに歩んでいるわけですが、その予期せぬ困難に遭遇し、不安に苛まれるなかでも元気を取り戻し、その苦境から立ち上がる姿に感動しない人はいないでしょう。そしてそれは、それぞれの方がそれぞれの「頼り」を携え、懸命に人生を生き、みずからの仕事に力をつくされているからにほかなりません。自衛隊などの公務につき直接支援をされている方々、民間企業の日々の仕事によって間接的に支援されている方々……日本人同士の「つながり」によって、復興の鍵となる被災地域のサプライチェーンも急速に復興してきているようです。昨今のオリンパスに見られるような、ごく一部の経営者による不祥事が生じていても、大半の日本企業と日本人は、誠実に日々の仕事を積み重ねています。
しかしそうしたなかでも、日本人の多くが、いまだ言い知れぬ閉塞感や無力感、不安感に苛まれているのはなぜか。それは松下が考えたように、結局は「政治の崩れ」によるのではないでしょうか。国民の勇気・希望・知恵・努力の成果を社会において最大限活かし、成果に結びつけ、明るい未来を切りひらくのが、政治の役割であるにもかかわらず、その役割をしっかりと果たしきるのはいつになるのか、いまだ不鮮明なままです。
松下が晩年に立ち上がり、訴え続けた政治改革の必要性、その課題はいまの時代にも変わらず存在しているのです。いやもっと悪化しているのかもしれません。バブル崩壊以降の、1990年代前半からの日本経済の停滞を指す「失われた10年」という言葉がありましたが、松下からすれば、いまの日本は「失われた50年」に向かって進もうとしているのかもしれません。そうしたなかにあって、当時の松下の憂国の発言をあらためて読み返すと、言い知れぬ情感がこみ上げてきます。そして「片手にハンマー、片手に政治を」と強く主張した松下の言葉が心に沁みます。日本を「よい国」にするには、やはり多くの日本人が政治に参加し、政治を変えていかなければならない、いまはその「待ったなし」の状況にあるのだと思えてなりません。
2011年という「国難」の年の終わりをまえにして、「3・11」という大惨事を忘れないものにするために、「311」という数字を本書のタイトルに添えることにいたしました。本書にある松下のメッセージが、多くの日本人の心の根元に届き、よき日本人としての生き方を考えるうえで、幾ばくかの糧とならんことを切に願います。
二〇一一年十二月
PHP研究所
経営理念研究本部