2020年のオリンピック開催地が東京に決定しました。1964年以来、じつに半世紀以上の月日が流れたことになります。そのころの松下幸之助はというと、1961年に松下電器(現パナソニック)の社長を退き、自らの思想・哲学の深耕に精を出しはじめていました。しかしこのオリンピック開催という、経済拡大を期待させる国家的イベントに日本が沸き立ったころ、松下幸之助、さらには日本の家電業界は、厳しい経営環境に晒されていたのです。
熱中症の危険が他人事ではない、誰もがそう思うほどの猛暑が続いています。(2013年8月25日時点)
自己の「健康」にいっそうの配慮が必要です。
松下幸之助は生来虚弱の体質だったこともあり、「健康」は常に、やむを得ない関心事でした。そして「弱い人は弱いままで健康である」という独自の健康観をもつに至ります。
ようやく世界遺産に正式登録された「富士山」(2013年7月25日時点)。 日本人にとって、この古くから信仰・崇拝の対象でもあった「神の山」の名を、松下幸之助はしばしば、口にしています。 一つは当然ながら、「観光資源」としての活用を説くときにおいて、でした。 「観光立国」のすすめを、昭和20年代後半から世に問うていたのです。 そしてもう一つは、「ものの見方・考え方」について語る際の「喩え」として、でした。
いまの日本に喫緊に必要とされるのは実体経済の力強い成長です。それは、国家全体の努力により「利益」を生み出すことが必要だということです。
具体的には、より利益を生み出す成長産業に、人材や投資がスムーズにシフトしていくよう、国家がアシストしていくことなどが挙げられることでしょう。
しかしその実現という面でまだまだ疑問符がつくのが、アベノミクスだといえます。「利益」を生み出すとはどういうことか。「利益」に対して企業はどうあるべきか――。
松下幸之助は「利益」について、確たる信念をもっていました。
アベノミクス効果で、ドル高円安トレンドに転換し、日経平均株価も上昇、日本経済が回復の兆しを見せはじめています(2013年5月27日時点)。しかし新たな策にはリスクがつきものです。今後の経済・市場動向を、国民はいっそう注視していかねばなりません。
アベノミクスでは、大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略の3つが柱となっていますが、松下幸之助はかつて日本経済の繁栄のために、「株」というものに目をつけ、その活用についての政策提言をしていました。
日本国民にとって悲しい記憶となったあの「3・11」以後も、各地で地震等による災害が断続的に発生しています。東日本大震災(2011)からの復興・再生とともに、新たな災害への対策が国内政治の喫緊の課題となっています。
松下幸之助が遭遇した最大の人災といえば太平洋戦争でしたが、最大の自然災害は、戦前の関東大震災(1923)であり、室戸台風(1934)でした。
それではこの「震災」というものについて、松下はどう考えていたのでしょうか。
(2013.4.25更新)
前(民主党)政権の失策のひとつに「官僚」とのつき合い方が挙げられるでしょう。自民党政権では現在、経済復興・再生と外交面に全力集中している感がありますが、公務員の新規採用や給与など制度・待遇面の改革も静かに進みつつあります(2013年3月25日時点)。
国家繁栄のために「官僚」「公務員」の改革を今後どう進めていくべきなのか――。
「官尊民卑」という昔の時代を知る松下幸之助が興味深い提言・主張をしています。
(2013.3.25更新)
2014年4月入社に向けた学生の就職活動が佳境を迎えています(2013年2月25日時点)。 前途洋々、意気盛んの方もあれば、心中穏やかならず、いまも悩み・迷いを重ねておられる方もあるでしょう。
それでは9歳から社会に出、その後、仕事一筋の人生を生きた松下幸之助は、いったいどのような「就職」観をもっていたのでしょうか。
(2013.2.25更新)
2012年末の選挙戦で「できることしか言わない」「できないことは言わない」と国民に訴えた安倍自民党政権がスタート。
矢継ぎ早に経済面を中心として各政策が打ち出されていますが、この「これからの政府」に対し、国民は今後なにを望んでいくべきでしょうか――かつて松下幸之助はある要望を出していました。
(2013.1.25更新)
先の2012年12月16日におこなわれた衆議院総選挙において、自民党が大勝、政権をとり戻しました。
民主党への不信感が如実に数字にあらわれた今回の選挙において、争点になったのは、経済成長・景気浮揚策、消費税問題、そして原発問題でしたが、それらに隠れて目立たなかったとはいえ、国家の最重要事項である問題がありました。 9条改正をめぐる「憲法」問題です。
これは松下幸之助が生きた時代から論議され続けてきたことであり、松下も、本人いわく「憲法についてはまったくの素人」といいながら、あえてこの最重要事項に憂国の発言をしていました。