松下幸之助にとって「税金」は常に大いなる関心事でした。

松下政経塾出身の野田首相が進める現在(2012年7月当時)の増税路線に賛否両論が沸騰する中で、日本国民にとっても最大の関心事の一つとなっている「税金」。

 「税金」について考え続けた松下の論考・提言をご紹介します。 

(2012.7.10更新)

 

詳細

 弊PHP研究所の創設者松下幸之助が太平洋戦争後にPHP運動を開始したとき、まず活動の基本となる10の目標がつくられました。そしてその第7項として松下が挙げたのが、「租税は妥当公正に」でした。あわせて「国家生活をしてゆく上に租税の必要なことは何人も異論はないのであるが、真面目な努力をして所得を生み出してもその殆ど総てを徴収するという現行の税制は、人々の努力に対する意気込みを鈍らせる。また租税の賦課が公平厳正を欠けば正直に納税する者ほど重圧を受けることになる。私共(PHP研究所)は租税の率を引き上げて所得そのものを増し、所要の税額を確保することの可能性を確信し、之が具体案を研究したい」と付記された内容は、まさに松下の「税金」に対する素志であったといえます。そしてその志は次第に進化を遂げて、やがて「無税国家論」「収益分配国家論」として世に問われることとなりました。

 

 現在、松下政経塾出身の野田首相が進める増税路線については多くの国民がその行く末を注視するところですが、それでは野田首相が“師”とする松下が真に願った「税金」のあり方とはいったいどのようなものだったのでしょうか――。 

 

 何度も高額納税者日本一になった松下は、月刊誌『Voice』1986年3月号で、以下のような論考を寄稿しています。発表当時とはもちろん経済環境が異なっており、デフレ経済下にある現代日本において、松下が存命であったなら、どういった提言・発言をしたかは本人のみぞ知るところですが、実体験を元に構成された本内容には、今の時代にも通じる見方・考え方、そして本質をつく論点が提起されています。

 

国の“勘定”、人の“感情”~国家運営の要諦は人情の機微に即した税制度にある~

 (前略)昨年私は、十六年ぶりに多額納税者日本一ということになったのですが、その時マスコミの方々から求められるままにその感想を一言、次のように述べました。

 

「私が常に感ずるのは、わが国の所得税は極めて高いということ。国民が一生懸命働いて稼いだお金だから、それを使う喜び、楽しみがもっとあってよい。これだけ税金をとれば、徳川時代だったら、一揆が起っているのではないか」

 

 これは、私の率直な実感でしたが、このような思いを、私だけではなく多くの方々が抱いておられたからでしょうか、そのあと、「そのとおりだ」「よく言ってくれた」といったお便りをたくさんいただき、反響の思いがけない大きさに、私自身驚いたものでした。

 

 改めていうまでもなく、税制や税率を適正に決めるということはきわめてむずかしいことだと思います。税をとらなければ国の運営はできませんから、税金の必要性については誰も否定しない。けれども、それをどんな制度のもとでどの程度負担するのかということになれば、人それぞれにさまざまな意見が出てきます。そうした立場や意見のちがいを総合的に勘案して、大方の国民が納得して税を納めることができるよう、制度なり税率を定めていくのは、実際、容易なことではありません。しかし、それをいかにうまくやるかということが政治に求められるのではないでしょうか。

 

 私もこれまで、税金については相応の関心をもち、いろいろ見聞したり、みずから体験し考えてきたことが少なからずあります。立場上、税を納める側からの見方、考え方が主ですが、その一つは今から六十年以上も前、私が独立して商売を始めて間もない頃の話です。

 

 当時の税金は、大きい事業をやっているところはもちろん税務署から調査にきましたが、小さいところは申告者を信用して、「あんた、なんぼ儲けました?」「これくらいです」「よろしい」ということで、その金額に応じた税金を納めるというようになっていました。そんな慣習に従って、私は初めの頃、何を考えることもなく、儲かった金額をそのとおり申告し、納税していました。三百円儲かった、千円儲かったと、一応の説明を加えて毎年納めていたわけです。

 

 ところがそのうちに金額が次第に大きくなってきて、一万円、二万円を申告するということになってきました。すると今度は税務署の方でもそのまま受けつけてはくれません。「会社も大きくなったようだし、今度はあんたのところへも調査にいこう」ということになりました。そして実際に調査を受けてみると、それまで正直に申告してはいましたが、見解の相違があって、申告以上に利益があがっており、再調査に来るというのです。私は、えらいことになった、と思いました。

 

「確かに店は大きくなった。しかし、こんなことなら、それは内緒にしておいて、正直にこれだけ儲かったなんて言わなければよかった」
 私はこのことが気になって二晩ほど眠れませんでした。しかし、三日目にふとこう思ったのです。
「まてまて、ぼくがこれだけ儲けたといったところで、このカネはもともとぼくのものではない。いうなれば世間のカネ、世の人びとの共有財産である。自分のカネであればたくさんとられるのはかなわんけれども、もともとぼくのカネではないのだから、それを税務署がなんぼとろうとご自由や」

 

 そこで「結構です。そちらの思うとおり調べて下さい」と言って、気持よく再調査に臨むことができたのでした。

 それからも私はずっとそう考えてやってきました。こっちもウソを言わないかわりに、向うもムチャを言わない。そのうちに、いつの間にか理解ある納税者の一人と言われるようになりました。

 

 二つ目の話は、やはり私が若い頃にある人から聞いたことですが、明治政府ができて、初めて所得税が設けられたときのエピソードです。当時、大阪ミナミの宗右衛門町に富田屋という一流のお茶屋がありました。その富田屋に、ある日、大阪の名高い町人というか、いわゆるお金持ちが招待されたというのです。

 

 お金持ちたちは、招待とはいうものの、今日よりもはるかに強い権力をもっていたお役所からの招きです。いったい何ごとかと不安な気持を抱きつつ、かしこまって座敷に座っていました。そこへ出てきたのが税務署長とおぼしき人物。その人は正面の床の間を背にした席ではなく、いわゆる末席にピタリと座って、「本日、わざわざお越しいただいたのはほかでもありません。明治政府になって、日本の発展のために、こういう国家事業をやらなければなりません。つきましては、このたび皆さんの収入に応じて所得税というものを新たに納めていただくことになりました。ついてはよろしくお願いしたい」とあいさつし、丁重にもてなしたというのです。

 

 私自身の印象に強く残っている税についての二つの話を紹介しましたが、こうした個人的な感懐はともかくとして、税制度なり税率について大事なことの一つは、それがどれだけ国民の心情に即したものであるかということだと思います。

 


 

 初めにも述べたように国家を運営していくためには、税金が不可欠です。国民が納税の義務を果すことによって、国の財政が成り立ち、運営が行われて、個人の福祉向上も社会の発展もはかられる、だから納税は国民の義務である。

 

 そのことは、国民の大多数が理解していると思います。しかし、自ら汗水たらして儲け、しかも、一度ふところに入ったお金を出すというのは、感情面で、なかなか割り切れないのが神ならぬ人間というものではないでしょうか。
 

 人間には欲があります。多少なりとも儲かると思うからこそ、一生懸命に働こうとするのでしょう。働いたあとから、鵜飼いの鵜のように、その稼ぎをどんどん税金でもっていかれたのでは、働く意欲も萎えてしまいます。

 

 私は、人間が本来もっているこの欲望を、抑えるのではなく適切に満たしていくのが、政治の要諦の一つであると思っています。税制や税率を決める場合も、このことが基本ではないでしょうか。すなわち、国民の働く意欲をますます高める形で、税金をとるようにしなければならない。

 

 もし税金が、人情に即さないような苛酷なものになれば、誠実に働くのがバカらしいという風潮が生れてくるでしょうし、そうなれば、国民個々人の幸せも社会全体の発展も高めていくことはかないません。ですから、どの辺にその限度があるのかをよく見極めていくことがきわめて大切でしょう。

 

 また、税を徴収する態度や方法も問題です。明治維新時の税務署のように接待せよという気は毛頭ありませんが、国民が気持よく税金を納められるように、人情の機微にふれる態度や心配りをすることが、今日においてもやはり必要なのではないでしょうか。つまり、国の“勘定”と国民の“感情”とをうまくかみあわせ、二つの動きのアヤというものをよくわきまえてやっていくことが必要だと思います。そうでなければ、“勘定”と“感情”が悪循環をくり返さないとも限りません。

 

 わが国はいま、財政面で大きな危機を迎え、国の“勘定”が合わなくなってきています。このままいけば遠からず、わが国の財政は行きづまってしまうでしょう。そうならないために、効率のよい国家運営の方法を考えるとともに、さらに国民の“感情”に配慮し、国民が生き生きと活動できる人情に即した税制というものを生み出していかなければならない。(中略)このようなことを考えるのですが、皆さんは如何思われるでしょうか。

 

PHP研究所経営理念研究本部

 

松下が提言した「無税国家論」「収益分配国家論」の主旨を端的にまとめたもの

「まず人間の把握から~[質疑応答]『無税国家』は実現できる~」1980年4月2日・松下政経塾にて

収益分配国家をめざして~無税国家はいうに及ばず収益分配国家も実現可能だ~『Voice』1984年12月号

 

関連書籍紹介

リーダーを志す君へ 松下政経塾塾長講話録

『Voice』8.jpg

 

松下幸之助の国家観について詳しくお知りになりたい方は……

松下幸之助が考えた国のかたち

私の夢・日本の夢・21世紀の日本