
自分が社長の心意気を持つ
戦争中に、ある青年が会社の業務として、一つの工場を売りに私の所へきました。私は話を聞いた結果、「君が私の会社へ入って、その工場の経営を引き受けてくれるのなら、買おう」と言うと、彼は「私は社長ですから現在の会社をやめるわけにはいきません」と言下にそれを否定したのです。「君は社員ではなかったのですか」と聞くと、「いや、自分は社員ですが、心持は社長のつもりでいます」と言うのです。この返事を聞いて、えらい人だなと思いました。
われわれも一人ひとりが、それくらいの心意気を持って仕事をすれば、いろいろ新しいことも発見できるでしょうし、日々新たに成長もしていくと思うのです。

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松下幸之助と「震災」
日本国民にとって悲しい記憶となったあの「3・11」以後も、各地で地震等による災害が断続的に発生しています。東日本大震災(2011)からの復興・再生とともに、新たな災害への対策が国内政治の喫緊の課題となっています。
松下幸之助が遭遇した最大の人災といえば太平洋戦争でしたが、最大の自然災害は、戦前の関東大震災(1923)であり、室戸台風(1934)でした。
それではこの「震災」というものについて、松下はどう考えていたのでしょうか。
(2013.4.25更新)
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松下幸之助 経営とその人生
〜佐藤悌二郎のコラム〜
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三年有余にわたる総力をあげた戦争も、いかんながらついにこの結末となった。国民としてこれほど悲しいことはない。しかしわれわれは悲しみに耐え、苦しみに耐えて、直ちに国家の再建にとりかからねばならない。これが国民としての何よりの義務だ。わが社もまた本来の使命にもとづき、迅速に工場の整備を行い、一日も早く家庭電気器具の増産を行わなければならない。そこにわれわれの使命があり責任がある。悲しめば限りもないが、ともかくも直ちに行動にとりかかろう。絶対に虚脱状態のままであってはならないのだ。
こうして一万五千人の全従業員を激励し、またみずからもムチ打って、積極的な生産活動に入っていったのである。
(毎月1日・15日更新)
松下幸之助・人生の言葉
〜ともに困難を超えてこそ〜

山中鹿之助(鹿介)といえば戦国時代の有名な豪傑である。その鹿之助はいつも「七難八苦を与えたまえ」と神に祈っていたという。それをある人が不審に思って、その理由をたずねると、鹿之助は、「人間の心、人間の力というものは実際にいろいろのことに出合ってみないと自分でもわからない。だから、いろいろな困難に直面して自分をためしてみたいのだ」と答えたという。「憂きことの なおこの上につもれかし かぎりある身の力ためさん」という歌が彼の作として伝えられている。人間が神仏に祈るという場合、その内容はいろいろあるだろうが、概していえば、いわゆるご利益を願うのがふつうだと思う。幸せを祈ったり、健康を祈ったり、あるいは金儲けを祈るということはあっても、困難や苦労を与えてほしいと願う人はまずほとんどいないのではなかろうか。だから、七難八苦を与えたまえという鹿之助の願いを周囲の人が不思議に思うのは当然だといえよう。しかし、鹿之助はあえてそれを祈った。それは困難によって自分をためし、自分をきたえたいと考えたのでもあろうが、同時にそのようにみずから祈ることによって、われとわが心を励ましていたのではないだろうか。
『指導者の条件』(1975)
(毎週月曜日更新)




このコーナーは、松下幸之助について関心をお持ちくださった皆様に、さらに理解を 深めていただける場を提供するために作成いたしました。松下の膨大な著作・口述本のなかから「これだけ読めば、松下の考え方がわかる」という作品を大きく6つのジャンルに分けて系譜立てしたものです(下の画像の各分野をクリックすると著作物の詳細が表示されます)。現在、在庫切れの書籍もございますが、随時 電子書籍化を進めており、いずれ全作品をご購読いただけるようにしてまいります。





















