コツを体得する
苦労であっても、それをやらなければ一人前になれないのだということを、青少年のあいだから、常に先輩に聞かされていますと、それは苦痛でなくなってくるのです。それは希望に変わるのです。ですから、そのコツを体得することに対して精魂を傾けるということができてくると思います。
一つの拭き掃除にしても、拭き掃除はどうしてやるべきものであるかということがわかってくる。ただぞうきんを絞って、そして拭いたらそれでいいというのではありません。ぞうきんの絞り方というもの、ぞうきんの水の絞り方ということがまず第一に問題になります。ぼとぼとにしぼって拭いたほうがいいのか、からからにして拭いたほうがいいのかということが自然に研究されると思います。やはり私はそこにはそこに適正な湿度というもの、絞り方というもの、そういうものがあろうと思うのです。それによって拭くと、拭き掃除でも能率的であり、拭くものもいためない、そして適当に埃を取るということになるわけです。そのコツを私は自然に会得させられたのです。
これは拭き掃除ですから、事は簡単だとも考えられますが、拭き掃除一つにしても、真をうがつというようなところにきますと、ぞうきんの絞り方いかんというものが非常に問題であり、それによっていい掃除ができるかどうかが決まってくるのです。それがもっと複雑な仕事になれば、ぞうきんの水の絞り方いかんということ以上に、むずかしいコツというものがあろうかと思います。科学的な学理というか、基本というか、そういうものをほんとうに生かすためには、それを基盤とした一つのコツというものを会得しなくてはならないのではないかと思うのです。
そのコツを体得するということは、決して楽なわざではないと思います。相当精魂をこめなければならないと思うのです。それはやはり一つの苦労だと考えられます。しかし苦労であっても、それをやらなければ一人前になれないのだということを、青少年のあいだから、常に先輩に聞かされていますと、それは苦痛でなくなってくるのです。それは希望に変わるのです。ですから、そのコツを体得することに対して精魂を傾けるということができてくると思います。
『社員稼業』より
信仰三昧
いわゆる信仰三昧というほどに仕事に打ちこむ。来るお客さんは、みな神様であり仏様で、だから自然に、手を合わせて拝むというほどの心境になってお客さんを大事にする。そうすればそこには非常に大きな喜びが感じられるでしょうし、結果として商売が繁盛するということにもなるでしょう。
米倉さんは、ぼくが東京のお店へ行ったときには、しばしば自分でハサミをとってくれました。そして手ぎわよく散髪を進めながらいろいろ話をかわしたものですが、その中には教えられることが少なからずありました。その一つとして、あるときこんな話を聞かせてくれました。
「実は、先般あることがあって、理容組合の人たちに風呂敷を配ったのですが、それに私は“業即信仰”という言葉を染めたのです。なぜそうしたかといいますと、私は、お互いにとって自分の仕事なり職業に信仰をもつということが、非常に大事だと思うんです。そうならないかぎり、絶対に幸せは来ない、そういう私自身の気持ちをこの言葉にこめて皆さんに伝えたかったのです。
私は、もう七十歳にもなりますが、毎日、こうして仕事場に出て、皆さんの頭を刈らせていただけるということは、ほんとうにありがたいことで、もう、心の中で手を合わせて拝んでいるのです。そうすると、お客さんも喜んでくれます。こう言ってはなんですが、松下さんでも、東京へ来られたときにはうちの店に寄ってくださる。ほんとうに自分の商売に信仰をもつほどありがたいことはございません。そういうことで“業即信仰”という言葉を風呂敷に書いて配ったのです」
大略そんな話を聞かせてくれたのですが、このときもぼくは、非常な感銘を受け、教えられました。なるほど言われてみれば、まったくそのとおりです。いわゆる信仰三昧というほどに仕事に打ちこむ。来るお客さんは、みな神様であり仏様で、だから自然に、手を合わせて拝むというほどの心境になってお客さんを大事にする。そうすればそこには非常に大きな喜びが感じられるでしょうし、また、そのように大事にされて腹をたてるお客さんはありません。したがって、結果として商売が繁盛するということにもなるでしょう。“なるほど、ほんとうに道は近きにありだな”という感じを、ぼくは改めて抱いたのです。
『縁、この不思議なるもの』より
念入りに、しかも早く
スピードの尊ばれる現代においては、いかに念入りにとはいっても、時間がよけいにかかるのではなく、念入りに、しかも早くというところにこそ、真のサービスがあるのではないか。
米倉さんのお店で、こんなこともありました。あるとき、店員さんが、「商売というものは、やはりサービスが大切ですから、特に念入りにやりましょう」と、丁寧にやってくれたのです。それで、終わってから時計を見ると、いつもは一時間なのに、一時間十分かかっていました。
そこでぼくは、こう言いました。
「あなたがサービスに努めてくれたのはたいへんにありがたい。けれども、念入りにやるからといって十分間よけいに時間がかかるのでは、ほんとうのサービスにはならんのではないですか。もしあなたが、念入りに、しかも時間は五十分でやるということであれば、これは立派なサービスだと思いますがね」
ぼくは、スピードの尊ばれる現代においては、いかに念入りにとはいっても、時間がよけいにかかるのではなく、念入りに、しかも早くというところにこそ、真のサービスがあるのではないか、そう思いましたので、そんなことをお話ししたのですが、それからしばらくして、再びその店員さんにお世話になったときには、ハサミさばきも鮮やかに、五十分で立派に仕上げてくれました。
『縁、この不思議なるもの』より
臨床の仕事
お互いの経営なり、商売というものは、これを医学にたとえれば、基礎医学ではなく臨床医学にあたると思うのです。その意味では、これにあたる者はみな、実地の体験を積んだ臨床家でなくてはならないと思います。
お互いの経営なり、商売というものは、これを医学にたとえれば、基礎医学ではなく臨床医学にあたると思うのです。その意味では、これにあたる者はみな、実地の体験を積んだ臨床家でなくてはならないと思います。
ですから、かりに販売の計画を立てる人が、自分自身、販売の体験ももたずして、知識、才能だけに頼っていわゆる机上のプランをつくっても、それは生きたものとはならず、失敗する場合が多いのではないでしょうか。あるいは、実際に物を製造することを経験していない技術者の人が、開発の仕事にあたり設計に従事したとして、それではたしていい製品ができるでしょうか。私はできないと思います。
やはり、臨床の仕事をしていく以上、実地の体験から入らなくては一人前の仕事はできにくいと思うのです。かりに、もし二年なり三年なり、販売店さんや問屋さんのお手伝いに行き、その店の店員になりきって、ぞうきんがけから始めてみっちり勉強、修業をしたというような人が営業の仕事をしたらどうでしょう。これは、その人は販売第一線の実情に十分通じているわけですから、かりに机上で立てた計画でも、それはほぼ実態に即した間違いのないものができると思うのです。
もちろん、どのようなかたちでそうしたものを会得させ、体験させていくかということについては、いろいろのやり方がありましょうが、臨床の仕事をしているという心根だけはいつも忘れないようにしたいものです。
『経営心得帖』より
仕事と人格
どんなに人格が立派でまじめな人間だからといって、仕事がよくできるとは限らない。仕事と人格はあくまで別や。
「君は、今の上司は仕事はできるが、人格的に欠点が多いので立派な人にかえてくれと言う。君の言うこともわかるけど、どんなに人格が立派でまじめな人間だからといって、仕事がよくできるとは限らない。仕事と人格はあくまで別や。
人間だれしも欠点はある。だから、あの男にはこういうええとこもあると見なくてはいけない。君は、その欠点にだけ気をとられているから、ええとこが見えんのや」
『松下幸之助 経営語録』より
サービス
サービス精神に事欠いてはならない。それは、友人に対するサービスであるし、会社に対するサービスであるし、顧客に対するサービスであるし、社会に対するサービスである。いっさいがサービスから始まると考えていいと思う。
私ども子どもの時分によく親方から教えられたのは、商売人というものは、“損して得取れ”ということです。これは少し旧式な話でありますけれども、損して得取れ、損を惜しんでは商売人として成功しないということを言われたのであります。これは商売だけではなくて、人間全般に通ずると思うのです。個人、人間の社会生活に通ずることだと思います。今日の言葉でいうならば、まずサービスからかかれ、サービスをしてはじめて成果が認められるんだということと同じことだと思います。昔はサービスという言葉はございませんでしたから。
そのサービスを適切にやっていくかいかんかによって、非常に満足されるかどうかが決まる。満足されることによって、松下を非常に支持してくださるということに結びつき、繁栄するか繁栄しないかということに結びつくと思うのであります。
松下電器のすべての人は、サービス精神に事欠いてはならない。それは、友人に対するサービスであるし、会社に対するサービスであるし、顧客に対するサービスであるし、社会に対するサービスである。いっさいがサービスから始まると考えていいと思う。
『松下幸之助発言集 第30巻』(昭和40年の発言より)
販売
いかに立派な筋書きを与えられていても、それを味よく先方にお届けできるかどうかは、販売にあたる人がそれだけの訓練をみずから培うかどうかにかかっているのです。
落語家の噺は、聞いていると面白いのですが、その台本を読んでみると、聞くときの面白味は少しも味わえません。販売にあたるのも同様であろうと思います。いかに立派な筋書きを与えられていても、それを味よく先方にお届けできるかどうかは、販売にあたる人がそれだけの訓練をみずから培うかどうかにかかっているのです。筋書きのちょっとした生かし方にも興味をもって研究すれば、それに成功するでしょう。
そしてその根底となるものが、誠心誠意だと思います。それが根底にあってこそ深い味わいも出てくるのです。誠心誠意がなければ、どんなに立派な筋書きでも、それは実を結ばないアダ花となってしまいます。
『商売心得帖』より