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きみ、座布団が裏返しや――仕事を見る眼〈13〉

 京都東山山麓の真々庵、現在はパナソニックグループの迎賓館になっているが、もとは幸之助の別邸で、昭和三十六年から四十二年までPHP研究所の本拠でもあったところである。ここに幸之

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いくら薄いラジオでも――仕事を見る眼〈12〉

 ラジオがどんどん小型になり、その競争が激しく展開されていたころの話である。ラジオ事業部の事業部長と技術責任者が、開発中の超薄型ラジオを持って幸之助を訪ねた。ラジオの大きさは名

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不要な書類を一気に廃止――仕事を見る眼〈11〉

 昭和三十九年七月、熱海で行なわれた販売会社・代理店社長懇談会(通称熱海会談)のあと、幸之助は会長でありながら、営業本部長代行として第一線に復帰し、経営の改革にあたっていたが、

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時は金なり――仕事を見る眼〈10〉

 昭和二十年代の中ごろ、ナショナルラジオの音質について、芳しくない評判があったときのことである。東京に社用で赴いた幸之助は、代理店の人たちから、“松下のラジオは、ど

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仕事も遊びもいっしょや――仕事を見る眼〈9〉

 昭和六年春、大阪天王寺公園のグラウンドを借り切って、松下電器の歩一会(※)は第一回運動会を挙行した。前夜十時ごろのことである。テントの布設など会場の準備を万端整えてひと息つい

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濃いリンゴジュース――仕事を見る眼〈8〉

 ミキサーの商品試験に幸之助が立ち会ったときの話である。  担当者が、コップ一杯の水にリンゴ一個を使い、説明書どおりの分量でジュースをつくった。それを試飲したあと、幸之助は、

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神さんのデザイン――仕事を見る眼〈7〉

 昭和三十年ごろ、テレビの新製品を出すに先立って、役員会が開かれた。テレビ事業部の担当者が、五、六台のテレビを持ち込み、検討が始まった。みな新しいデザインの新製品である。重役の

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変えていいことと、いけないこと――仕事を見る眼〈6〉

 昭和四十年代の初め、毎年発行部数を伸ばしてきたPHP研究所の月刊誌『PHP』が、百万部を超えて、その伸びがいくぶん鈍ってきたときのことである。編集がマンネリになったからではな

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とどめをさす――仕事を見る眼〈5〉

 昭和二十年代後半、松下電器東京特販部は、生産販売を始めたばかりの電気冷蔵庫を、当時日本一といわれていたデパートに納入すべく懸命の努力を重ねていた。  当時、そのデパートの電

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電池が語りかけてくる――仕事を見る眼〈4〉

 第二次世界大戦後の混乱期には、原材料も乏しく、乾電池にも不良が出ることがしばしばあった。  そんなある日、乾電池工場を訪れた幸之助は、責任者から不良が出る状況について説明を

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魚屋で勉強してこい――仕事を見る眼〈3〉

 戦前の話である。幸之助がある幹部に言った。  「きみなあ、あしたから会社へ来なくていいから、魚屋へ二、三カ月、丁稚奉公に行ってくれ」    幹部は、幸之助が何

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それでも松下の人間か――仕事を見る眼〈2〉

 幸之助が、トヨタ自動車から講演を依頼された。当日は、名古屋の特機営業所所長が名古屋駅まで車で出迎えた。トヨタ自動車の本社までの車中で幸之助は、沿道の建設中の建物について、「あ