昭和58(1983)年末以降、松下幸之助は体調を崩し、以前から行なっていた活動ができなくなりました。
例えば、PHP研究所創設記念式典は、37周年に当たる昭和58(1983)年11月3日が最後の出席となりました(録音№1987)。松下政経塾塾生との懇談は、録音・録画が残っている最後は昭和60(1985)年6月1日です(録音№9263・動画№ODA185005)(※1)。
主な最後の活動を表にすると以下の様になります。
それまでは年末になると、翌年の新年号に載せるため、雑誌や新聞の取材が相次いでいました。こうした取材は昭和58(1983)年末が最後となり、翌昭和59(1984)年末は松下電器社内で記事をまとめてから出稿する形式がとられています(録音№2017)。
PHP研究所経営理念研究本部に残っている最後の録音は、昭和61(1986)年2月14日、PHP研究所東京事務所(千代田区三番町)に来た時のものです。この時はPHPゼミナールに講師として飛び入り参加し(写真)、今までの人生で一番嬉しかったことは何かと問われると、丁稚奉公で最初の給料をもらった時だと答えました(録音№2020)。
1)これ以降も松下記念病院まで塾生があいさつに行くことがあり、年月日が分かる最後の記録は昭和63(1988)年2月29日の写真です(社内資料・松下幸之助写真集22-53~54)。
2)翌昭和62(1987)年の経営方針発表会は秘書がメッセージを代読しており(動画№ODA387003)、昭和63(1988)年は登壇して万歳をしました(松下幸之助写真集22-49~52)。