共存共栄

混乱の渦中でも公正を守る――共存共栄への願い〈12〉

 戦争直後の松下電器と幸之助は、制限会社としての指定、財閥家族としての指定など七項目に及ぶ制約を受けて、思うように仕事ができない状態であった。  一方、世の中のインフレは進み

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いくらで売ったらいいでしょう――共存共栄への願い〈11〉

 幸之助が初めてソケットを考案製造したときのことである。ソケットをつくりはしたが、いわばまったくの素人、それをいくらで売っていいかがわからない。  そこで幸之助は、さっそく、

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人情に厚く人情に流されない――共存共栄への願い〈10〉

 昭和二年に新設した電熱部は、幸之助が同じ大開町に住む友人である米屋の主人と共同出資のかたちで始めたものである。当初その経営は友人が受け持った。  しかし、電熱部はスーパーア

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手にあまるほどの名刺――共存共栄への願い〈9〉

 昭和十年、個人企業から株式会社に改組した松下電器は、すでに従業員五千人に近い大企業に成長していた。  そのころある工場の主任が、電話で幸之助に呼び出された。  「どや、し

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みんなお得意さん――共存共栄への願い〈8〉

 教育界、宗教界、行政界を経て松下電器に入社した、労政担当の幹部の話である。彼は入社のときすでに四十代の半ばに達していたが、新たな気持ちで仕事に取り組む決意を固め、その手初めに

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反対者も協力者に――共存共栄への願い〈7〉

 昭和四十年。二月から新販売体制をスタートさせることになった松下電器の各地区営業所長は、販売会社、販売店の理解を得るために奔走していた。  いよいよスタートも間近というあ

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きみは代理店の番頭やで――共存共栄への願い〈6〉

 東京のある代理店が倒産した。東京営業所長は、直ちに再建策をつくって奔走したが、それまで懸命に手伝いをしてきた会社の倒産であっただけに、裏切られたような気がして、代理店の社長を

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北海道のメガネ屋さん――共存共栄への願い〈5〉

 昭和三十九年秋、幸之助は、北海道のあるメガネ店の主人から一通の手紙を受け取った。そこには、ていねいな文章でこんなことが書かれていた。  「実は、先日、テレビであなたの姿

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きみはなぜ学校を出られたか――共存共栄への願い〈4〉

 ある課長を、工場長に任命したときの話である。最近の仕事のことなどについてひとしきり懇談していたが、幸之助は突然話題を変えて、こんなことをきいた。  「ところできみ、学校

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万国博の日傘――共存共栄への願い〈3〉

 昭和四十五年に開かれた大阪万国博覧会の松下館は、会期中、七百六十万人という入場者でにぎわったが、開館まもないある日、つぎのようなことがあった。  入場者の整理のため、入館待

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守りとおした男と男の約束――共存共栄への願い〈2〉

 戦前のこと、ある電気器具をめぐって、業界で激しい過当競争が行なわれたことがあった。原価を十とすれば損を承知で八、七といった安値で売る。売れば売るほど損が出る。そんな安売り競争

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自主責任経営は共存共栄の第一歩――共存共栄への願い〈1〉

 過当競争によって業界が大きく混乱していた昭和三十年代の後半のことである。ある地区の販売店の集まりに出席した幸之助に、こんな質問が飛び出した。    「松下電器が

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