初めて中国を訪問――PHP活動〈107〉
21世紀はアジアの時代になると予見した松下幸之助は、松下政経塾の開塾を前に、海外へ視野を広げました。昭和54(1979)年6月25日~7月4日には中国を訪問しています。
松下政経塾・財団法人の認可――PHP活動〈106〉
松下政経塾の設立発起人会議は、昭和54(1979)年1月22日、東京のホテルニューオータニで開かれました(録音№1724)。松下幸之助も出席し、議長に就任しています。
ガルブレイス氏との対談――PHP活動〈105〉
昭和53(1978)年9月12日に松下政経塾の構想が発表されたことを受け、多くの知識人やジャーナリストが松下幸之助に面会や取材を申し込みました。同年9月26日に『タイム』誌、10
松下政経塾設立の記者発表――PHP活動〈104〉
昭和53(1978)年9月12日、大阪市北区の電子会館で松下幸之助は丹羽正治・松下電工会長(当時、以下同)とともに記者会見を開き、松下政経塾の構想を発表しました(録音№1675)
無税国家論の誕生――PHP活動〈103〉
昭和52(1977)年12月10日、月刊誌『Voice』が創刊され、松下幸之助は「21世紀をめざして」を連載しました。昭和53(1978)年7月号掲載の「日本を税金のいらない国に
月刊誌『Voice』の創刊――PHP活動〈102〉
昭和52(1977)年12月10日、月刊誌『Voice』が創刊されました。同年6月1日付で準備が始まった記録があります(※1)。6月8日に第1回企画案打合せが行われ、発行部数は「
高野山における合宿――PHP活動〈101〉
PHP研究所創設30周年記念出版として、昭和51(1976)年1月『小説・新世紀の日本』が企画されました。この原稿作成のため、同年7月15~28日、高野山西禅院にて合宿が行なわれ
PHP友の会本部事務局の開設――PHP活動〈100〉
松下幸之助は昭和25(1950)年7月17日、PHP活動を月刊誌『PHP』発行のみにとどめることを発表し、同年8月1日をもって初期PHP友の会本部はPHP研究所に吸収される形で消
松下幸之助がPHP研究所所長に復帰――PHP活動〈99〉
昭和46(1971)年3月18日、松下幸之助はPHP研究所所長を退任しました。以後は『人間を考える』の推敲に尽力し、同年12月8日に脱稿以降は、2年ほど体調を崩しています。錦茂男
霊山顕彰会の財団法人化――PHP活動〈98〉
明治元(1868)年5月10日、若くして命を落とした幕末の志士549柱の霊を祀るよう、明治天皇よりご沙汰があり、最初の官祭招魂社(現京都霊山護国神社)が建立されました。志士の墓な
伊勢神宮崇敬会会長――PHP活動〈97〉
松下幸之助は戦前に、伊勢神宮に参拝する機会がありました。京都の平安神宮や八坂神社に比べて伊勢神宮が「清楚」であったので、神社のイメージが180度変わったと言っています(速記録№4
神道大系編纂会会長――PHP活動〈96〉
昭和50(1975)年11月13日、松下幸之助は神道大系編纂会会長に就任しました。松下電器で事務を担当した松下電器常務取締役(当時)の小川鍛(きたえ)氏によれば、戦時中に108巻