心くばり

病と仲よく――情を添える〈13〉

 ある幹部社員が病に倒れ、入院した。「一年くらいの療養が必要」「絶対安静」「面会謝絶」とつぎからつぎに出される医師からの宣告に、すっかり気落ちしてうつうつとベッドに身を横たえて

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外国語がわからんので......――情を添える〈12〉

 昭和十年から数年にわたって、幸之助は、今でいう社内誌にあたる『歩一会会誌』という小冊子に、みずからの生いたち、事業の変遷などを書きつづっていた。大阪の門真から、そのころ幸之助

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思いがけない餞別――情を添える〈11〉

 昭和二十四年、戦後の混乱のなかで、松下電器はそれまでの歴史にもその後の歴史にもない、解雇や依願退職を募るという異例の対策を講じつつあった。そうしたなかで、戦前からデザイナーと

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社員の顔を覚える――情を添える〈10〉

 京都東山山麓の真々庵でまだPHP活動を行なっていたころのことである。  幸之助の留守中、たまたま真々庵見学の機会を得た松下電器の社員が、ある部屋の一隅に小さな屏風が立てかけ

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心のこもったお弁当――情を添える〈9〉

 昭和三十三年五月、幸之助が工場建設候補地の検分のため、神奈川県湘南地区を訪れた。辻堂工場と蓄電池工場の責任者が案内役を務めて、何カ所かを丹念に調べ、終わった時刻は十二時を少し

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成功の秘訣は夫婦円満――情を添える〈8〉

 昭和五十六年三月十七日、テレビ朝日の「溝口モーニングショー」で、幸之助は珍しく妻むめのについて語っている。    ――奥様のお年は。  幸之助 八十四歳。

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叱ってもらえる幸せ――情を添える〈7〉

 あるとき、すでにかなりの地位にある社員が、ふとした過ちを犯した。これは見過ごしにはできないということで、幸之助は譴責状を渡して注意することにした。 「きみのやったことに

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「紅白歌合戦」のマイクロホン――情を添える〈6〉

 マイクロホンの研究開発を担当していたある社員の夢は、NHKの「紅白歌合戦」でナショナルのマイクロホンを使ってもらうことであったが、十年に及ぶ努力が実を結んで、ある年、ついに自

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きみ、いちばん上手や――情を添える〈5〉

 昭和三十年代の後半、PHPの研究が真々庵で行なわれていたころのことである。幸之助が長時間、原稿に目を通したり、考えごとを続けて肩がこったとき、数人の若い所員に順番で肩もみの役

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長男を亡くした親友への励まし――情を添える〈4〉

 親しくつきあっていた製菓会社の社長の長男が、昭和二十五年、三十九歳の若さで急死した。次男、長女もすでに亡くなっており、たった一人残った長男はまさに社長にとっての宝物であった。

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従業員のことを思うと......――情を添える〈3〉

 大正十四年、幸之助は近隣の人たちの推薦を受けて、大阪市の連合区会議員の選挙に立候補、当選したが、その選挙運動を通じて十七歳年長のある区会議員の知遇を得た。  ある日、幸

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一人も解雇したらあかん――情を添える〈2〉

 昭和四年五月、松下電器は待望の第二次本店・工場の新築がなり、第二の発展期を迎えた。従業員約三百名、まだ町工場の域を出ないとはいうものの、発展に発展を続ける姿は業界でも目立つ存