昭和62(1987)年4月29日、松下幸之助が勲一等旭日桐花大綬章を受けることが政府から発表されました(※1)。昭和45(1970)年に勲一等瑞宝章、昭和56(1981)年に勲一等旭日大綬章を受けてから3度目の勲一等でした。
受章理由は「松下企業グループの創業者として、また関係団体の要職にあって、産業経済の発展および生産技術の向上に尽力したほか、社会教育の振興、人材の育成、歴史的風土の保存、日本国際賞の創設および運営など、幅広い分野における卓絶した功績」とされています。「社会教育の振興」は月刊誌『PHP』などの出版活動、「人材の育成」はPHPゼミナールの活動、「歴史的風土の保存」は財団法人飛鳥保存財団(現公益財団法人古都飛鳥保存財団)の活動がそれぞれ該当しています。3度目の勲一等で、初めてPHP活動が受章の対象となりました。
同年5月8日、皇居で勲章の親授式が催されました。授与の後、受章者を代表して幸之助が昭和天皇にお礼を述べたということです(※2)。
式典が終わると松下電器東京支社に立ち寄り、玄関で社員300名から祝福され、花束贈呈と万歳三唱が行なわれています。幸之助は「今後とも一層の精進を重ね、社会のためにいささかなりともお役に立ちたいと考えています」とコメントを発表しました。
昭和56(1981)年の勲一等旭日大綬章の際には、PHP研究所でもお祝いをしましたが、この時は幸之助の体調に配慮して、特に式典などは催されませんでした。
1)「松下相談役に最高の栄誉 春の叙勲で 勲一等旭日桐花大綬章」『Pana News』第3号、昭和62(1987)年5月1日。
2)「おめでとうございます 勲一等旭日桐花大綬章 天皇陛下から松下相談役に親授」『Pana News』第4号、昭和62(1987)年5月15日。