昭和58(1983)年4月27日、PHP研究所は「世界を考える京都座会」を発足させました(※1)。当初発表された研究テーマは「国家経営」「産業構造」「国際問題」「テクノポリスと国土創成」「新しい人間観」の5つです。発足時のメンバーは松下幸之助を座長とするほか、天谷直弘、飯田経夫、石井威望、牛尾治朗、加藤寛、高坂正堯、斎藤精一郎、堺屋太一、広中平祐、山本七平、渡部昇一の各氏11名で、江口克彦・専務取締役(当時)が事務局長を務めました。幸之助は京都座会について、PHP研究所の「"長男"のような活動」(※2)と言っています。

 現存する資料によれば、検討段階では「『世界はどうあるべきかを考える』研究会」という名称であり、同年2月14日、東京で開かれた「第2回準備検討会」で「世界を考える京都座会」に決定しています。発足前の段階では、森英恵、梅原猛、磯崎新各氏など40名以上がメンバー候補としてあがっていました。


 発足後、同年5月11日に『朝日新聞』、12日に『日本経済新聞』に全段広告が掲載されました(写真)。広告の本文では「衆知を集め、相当の期間をかけて研究に取り組むならば、真の繁栄世界を創るための秩序や体制は必ず見出し得るでしょう」と主張し、下段では「国民の皆様」に向かって「ご意見をお寄せください」と訴えています。


 幸之助は『「世界を考える京都座会」発足にあたって私の所懐』と題する45頁のパンフレットを製作しています。パンフレットには、全段広告の縮小版も添付されました。この時点では京都市内に京都座会専用のビルを建設する計画もありました(※3)。



1)「21世紀の国家づくり 知恵出し合う 松下さんら『京都座会』」『読売新聞』昭和58(1983)年4月28日付など。


2)「『京都座会』早くも大反響」『サンケイ新聞』昭和58(1983)年5月11日付。


3)「世界を考える京都座会 会館建設にGO?」『日刊工業新聞』昭和58(1983)年7月15日付。