2012年末の選挙戦で「できることしか言わない」「できないことは言わない」と国民に訴えた安倍自民党政権がスタート。

 

 矢継ぎ早に経済面を中心として各政策が打ち出されていますが、この「これからの政府」に対し、国民は今後なにを望んでいくべきでしょうか――かつて松下幸之助はある要望を出していました。

(2013.1.25更新)

 

詳細

 松下幸之助は「これからの政府」になにを望んだか。自身が創設したPHP研究所において、政治・経済・教育といった各方面における日本のあるべき姿を考え続けた松下は、1948年から「PHPのことば」と題し、みずからが練り上げた思想・哲学を発表したなかで、こう明言しました(のちに『松下幸之助の哲学』に収録)。

 

 「すべての人が生き生きと仕事をはげみ、生活をたのしむようにするのが、政治の目的であります」

 

 そして政治の使命について、こう記しました。

 

 「自然の理から与えられている限りない恵みに感謝して、精神生活を営むところに宗教が生まれ、その恵みを物質生活に生かしていくところに経済があるのであります。そうしてその理を明らかにしていくところに学問の使命があり、これを躾けていくところに教育の使命があり、それらすべてをよく運行せしめてゆくところに政治の使命があると思うのであります」

 

 さらに松下は、政治の使命・目的をになう「政府」のあるべき姿についても、みずからの考えを『PHP』1966年12月号で発表しています(のちに『遺論 繁栄の哲学』に収録)。

 

 「私は、新しい日本の政府というものは、まず基本的に、国民の自由を保障し、その自主的な活動を高めるよう配慮することが最も大切ではないかと思っている。要するに国民一人一人の自由が尊重されるならば、各人はのびのびと、それぞれの持ち味を十二分に発揮して活動しやすくなる。それは、結局は国家国民の繁栄発展を生む原動力になると思うのである」

 

 こうした松下の発想の原点には、経営者としての成功体験があります。会社の基本方針は全員に徹底させるが、あとはできるだけ各人の責任において自由にやってもらうというのが松下流の経営であり、その実践が社員一人ひとりの成長、さらには会社全体の繁栄につながるという信念を松下は持っていました。この“経営”は国家レベルにおいても変わらず適用できると考え、当時の政府に要望したのです。そこに、国民の「自主的な活動を高めるよう配慮する」とありますが、いまでいえば「規制緩和」でしょう。

 

 「やはり、政府のやるべき仕事は何であるか、国民のなすべき仕事は何であるかということを明確にし、そこに一つのはっきりとしたけじめをつけなければならない。すなわち国民は、民間でというか、国民みずからなしうることは、できるかぎりみずからこれを行う。政府は、国として大切なことで、国民ではなしえないことのみをとりあげて行う。簡単にいえば、こういうけじめを明確にすることが肝要ではないだろうか。その上に立って国民はみずからなすべきことは、責任をもって自主的にやる。政府もまた政府としてなすべきことに力を集中してやる。こういうことが、いわば当然のこととして考えられ、行われるという姿こそ最も望ましいと思うのである。(中略)

 

 災害対策とか社会保障というものは、国民の福祉のためには不可欠のものであって、政府が力強く行うべき大切な仕事であるといえるであろう。しかし、お互いの生活の安定とか繁栄というものについては、それを国民みずからが自主的につくり出さねばならない。それが自由を建前とする国家の原則だと思う。したがって、社会保障それ自体は必要であり大切なものであるが、これを実施するにあたっては特に注意しなければならない。つまり、政府は、あくまでも社会保障の本来の精神に立ってこれを行うことが大事であって、みずから自由に働くことのできる国民までが、社会保障によって生活の安定を得るのが当然と考えるような、いわば自主性を失った風潮を生むことのないよう注意しなければならないと思うのである」

 

 「政府はお金の使い方・生かし方をよくよく考えよ」「国民は自立せよ」という松下の本音が聞えてきそうですが、この松下の要望を「これからの政府」において実現しようとしたら、その中心的役割を果たすであろう存在は、竹中平蔵氏などを起用、発足したばかりの「日本経済再生本部」、ならびにその傘下での「産業競争力会議」になるでしょう。 安倍総理が進める「アベノミクス」の核となる、インフレ目標を掲げた大胆な金融政策がおこなわれる際には、実体経済の力強い成長、雇用の拡大、賃金の上昇がともに実現されていかねばなりません。そのためにも、成長産業の強化を支援・促進する規制緩和はますます必要になってきます。

 

 しかし当然ながら、規制緩和すればいいことばかり、ではありません。第二次臨調や小泉改革によって推進された施策として、起業や新規事業拡大に対し、さまざまな便宜がはかられたものの、その半面(規制緩和の余波かどうかについては賛否両論がありますが)、格差社会や二極化社会、弱肉強食といわれる状態が厳然と存在しています。さらには長引く経済停滞による閉塞感の蔓延など、松下が願った「すべての人が生き生きと仕事をはげみ、生活をたのしむ」姿には程遠い状態にあります。 規制緩和を進める、しかしその際に「すべての人」をけっして視野からはずさないよう、辛抱強く、闊達な議論をおこない、決議していくことこそが、政府・政治に対する松下の要望の、真に意図するところなのです。そしてそれは、これからの国民がこれからの政府に望むべきことでもあるはずです。

 

 ちなみに松下は、これからの政府をになう政党、所属の国会議員のあるべき姿についても、『PHP』1966年5月号で、「国会議員は一人一党が原則」として興味深い言及をしています。

 

 「私は、個々の国会議員が、自分は全国民の代表者である、ということを基本の心がまえとして行動することが大事だと思う。つまり、それぞれの政党員である国会議員は、主権者である国民の政治に参与する権利を、選挙によって委託されているのである。だから、その委託された権利を、国民の意思に添うように行使するという義務を負っているわけで、その義務を正しく果たすように努めることがまず大切である。(中略)

 

 政党には、お互いの基本的な政治主張を同じくする人が集まっている。だから、その基本の点については、全員が一致するであろう。しかし日常の個々の政策については、人によっていろいろな見方、考え方があるのが当然だと思う。たとえば、基本的に東へ行くということで意見が一致している場合でも、どの道を通って行くか、あるいは歩いて行くか車で行くか、それとも飛行機で行くかというように、その具体的な方法はいろいろ考えられる。それと同じことだと思う。だから、各党員は、個々の政策については、自分は国民の代表者であるという立場に立って、それぞれの良識に従って判断しなければならない。党内における討議には、みずからの正しいと信ずる意見を出しあって甲論乙駁〈こうろんおつばく〉する。その結果納得がいったならば、党の政策として議会に提出された議案に対して賛成の投票をする。しかし、もしどうしても党内の大勢の意見に納得できないならば、議会での採決は棄権する。あるいは自党の政策より他の党の政策のほうが国民全体の立場から見て正しいと自分が信ずるならば、少なくともその一議案に関しては、その他党の政策のほうに賛成の一票を投ずる。それが国民主権代行者としての責任ある態度というものであろう。

 

 政党のほうでも、そうした行動を党の結束を乱すというようなことでみだりに禁ずるのではなく、当然のこととして認めるという態度をとらなければならない。私は国会議員がその良心にもとづいて、国民のために是と信じてする行動は、党則はもちろん何によっても禁ずることができないと思う。なぜかといえば、各議員の国会における意思決定は、国民に対する責任においてまったく自由でなければならないと思うからである。国会議員のそうした自主的判断を認めることこそ、真の民主主義の精神であろう。その意味から私は常々、国民の代表者である代議士は、いわば“一人一党”であることが原則だと考えている。(中略)

 

 わが国の憲法第四十三条には、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」と定められている。この「全国民を代表する議員」とは、どういうことかというと、国会議員は、いったん選挙によって選ばれた以上は、単に自分を選んでくれた二十万なり三十万人なりの選挙民だけを代表するのではなく、全国民を代表した活動をしなければならないということであろう。したがって、政党が国会議員の活動の自由を束縛することがあるならば、それはこの憲法の精神に違反することだといわなければなるまい。これは、とりもなおさず、一人一党の原則が無視された姿だといってよいであろう。だから私は、新しい日本においては、政治家も国民も、ともに一人一党の原則を貫いて事にあたっていくことが大切だと思う。この原則を貫いてこそ、真に衆知を集めた誤りの少ない政治を行うことができるのではないだろうか」

 

 各政策に是々非々で臨むとの意気込みをみせる野党もありますが、停滞する日本経済の再生のために、与野党すべての政治家が、衆知を集め、是々非々で国政に望む覚悟をもってほしいものです。そして政治家と「ともに」、国民一人ひとりも、果たすべき役割をしっかりと認識し、実行していく――それが即ち、松下の切望したことでもありました。

PHP研究所経営理念研究本部
 

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