昭和56(1981)年の元旦、松下幸之助は松下電器が「創業命知第50年」(※1)を迎える5月5日にその式典を執り行ない次第、ただちにアメリカへ渡って1年間勤務する計画を立てました(※2)。

 1月10日に開かれた松下電器の経営方針発表会で、幸之助は「アメリカ松下に1年間勤務しようということを、この元旦に心に決めて、4日に伊勢神宮に参って、伊勢神宮の神殿でそれを心に誓って、報告してまいりました」と転勤計画を公表しました(録音№1864・松下幸之助発言集24)。『夕刊フジ』紙は同月25日付で、幸之助の「爆弾宣言」と報道し、松下電器の社員が戸惑っている様子を紹介しています。


 3月29日、評論家の草柳大蔵氏が出演するテレビ番組『新サンデートークごきげんよう草柳です――神様のアメリカ志願』(仙台放送)が放送されました(※3)。転勤計画が主として取り上げられており、幸之助はアメリカ社会の停滞の要因を知りたいと言っています。草柳氏は番組の最後にこの転勤計画について、「壮挙と言うより仕方がない」とまとめました。また、 4月29日の『朝日新聞』は、「PHP研究を米国でやってみたい。できればすぐにも」(※4)という幸之助の抱負の言葉を紹介しています。


 しかし周囲の反対は強く、幸之助は6月に予定していた渡米をいったん秋に延期したものの、最終的には8月20日にアメリカ転勤計画の中止を発表(※5)。11月12~25日の訪問となりました。その帰国後、記者会見を開いた幸之助は、アメリカについて「経済界は沈滞している」と述べ、ニューヨークの街は新市長による行政で綺麗になったと印象を語っています(速記録№1903)。



1)幸之助は「凡ソ生産ノ目的ハ吾人日常生活ノ必需品ヲ充実豊富タラシメ、而シテ其生活内容ヲ改善拡充セシメルコト」という産業人の使命を昭和7(1931)年5月5日に闡明し、この年を「創業命知第1年」としました。


2)そのころ松下政経塾では、複数の塾生がもっと海外研修を行ないたいと主張していました。幸之助は塾生の海外研修には慎重でしたが、海外で生活することでかえって日本のことがよく分かるという意見には賛成しています(速記録№1833)。


3)同番組の300回記念であり、京都東山山麓の真々庵で撮影されました。


4)「松下さん 米にも『研究所』を構想」『朝日新聞』昭和56(1981)年4月29日付。


5)「松下幸之助さん"米国遊学"見合わす」『サンケイ新聞』昭和56(1981)年8月21日付。