日本国憲法が公布された1946年11月3日に、松下幸之助はPHP研究所を設立しました。 その後の松下にとって、憲法のみならず、「法」は常に関心事であり研究・提言の対象でした。

(2014.8.25更新)
 

 いま、日本は改憲に向けて大きな一歩を踏みだそうとしています。当ウェブサイトではこれまで「憲法」「自衛」に対する松下の考え方をとり上げてきましたが(以下)、いま一度、「法」全般に対する松下の見解のポイントを整理してご紹介します。

「憲法」と松下幸之助
「自衛隊」と松下幸之助

 

詳細

 まず憲法は「人類共通の普遍性」と「国民性」に立脚したものでなければならず、そのうえで「刻々と変化する時代の中で常に見直しをはかり、時代性のあるものにしていかなければならない」というのが松下の基本的見解です。現日本国憲法については特に前文内容に注目し、「理想に走りすぎて現実の姿を忘れてはならない」と警鐘を鳴らしたこともありました。真の独立国家に相応しい憲法はいかにあるべきかを世に問うべく、「私案日本国憲法前文」を作成、発表もしています。

 戦前・戦中・戦後を生きた明治生まれの日本人として、太平洋戦争という体験を猛省しつつも、アメリカの占領下で定められた現憲法の文面に、長久の歴史・伝統に基づいた日本国家の“個性”を感じとることができなかったのでしょう。その松下が法改正にあたって配慮すべきこと、さらには遵法の精神について、以下のように述べたことがあります。

 

 実情に合わない法律は次々に改廃していかねばならない。もし為政者が、あまりに理想に走りすぎたりして、お互い人間の欲望とか、あるいは時代の流れを十分配慮しないままに法律を制定するならば、その法律が強制されることによって、お互いの生活に無理やムダが生まれてきたり、ひいては法を守ろうとする意欲が失われてくるであろう。だから、法律というものは、常に人間性と時代性にかなった実行可能のものであるよう改廃していくことが、政治の大きな仕事であると思うのだが、しかしその法律が正式に認められている法である限りは、お互い国民平等の責任においてこれを厳守していく義務がある。民主主義というものは、そのように守るべき戒律をお互いが厳守し、秩序を高い状態に保つことによって成り立つものだと思う。したがって、政府は一方で法を尊重すべきことを国民に訴えるとともに、その一方では守りやすく、しかも守ればお互いの繁栄、平和、幸福の増進に役立つ法律を定めるようにする。また国民は遵法ということの重要性を正しく自覚、認識し、自分のためみんなのためにつくられた法律なのだから、多少厳しいものでも、それを厳しいと感じないで守っていけるというところまで、お互い人間として成長していくことが大事ではなかろうか。

(『PHP』1968年9月号・「あたらしい日本・日本の繁栄譜44」より)

 

 このような「法」に関する松下の著述・発言は数多く残されていますが、その根底には絶えず祖国日本を、繁栄・平和・幸福に満ちた真の文化国家にしたいという念願がありました。そして文化国家建設にあたり、礎となる精神・物質文化の進行度合を判定する基準として、松下は「自由」「秩序」「生成発展」の3つを挙げています。その一つ「秩序」を高める存在である「法」について、松下は持論を進化させ、「法三章(漢の高祖の、殺人・傷害・窃盗のみを罰するという3章の法のこと)で治まる国家が先進国」と主張するようになりました。

 

 国家百年の大計が明確になり、そのもとに力強い政治が行なわれるならば、私は、日本は他の国々にくらべて、理想的な繁栄の姿を実現しやすい諸条件に大いに恵まれていると言うことができると思う。(中略)人種、民族が異なれば、言葉だけでなく生活習慣なりものの考え方にも違いがあるだろうから、国民を一つにまとめていくのは容易なことではない。結局、法律というものを細かく規定し、それをみなが平等に守るしかない。だからアメリカでは、法律がきわめて複雑で、個人でも顧問弁護士を持って、事あるごとにその世話になっているという。ずいぶん手数のかかる面倒なことだと思うが、多民族国家をうまく治めていこうとすれば、そうするしかないのであろう。その点わが国は、言葉にしても全国どこへ行っても日本語が通じるし、ほとんどすべての国民が読み書きができる。そのようなことを考えれば、同じ政治をするのであれば、日本はアメリカよりはるかにやりやすく、能率がいいはずで、国費なり税金にしても、アメリカの半分あるいは3分の1で済ますことができるのではないかと思う。

 また私は、アメリカのように何でも法律で律しなければならない法治国家は、今日では真の先進国とは言えないと考えている。真の先進国とは、国民の道義道徳心、良識が高く、法律はごく少なくて治まるいわゆる“法三章”の国だと思うのだが、わが国には、2000年の長きにわたる歴史の中で、お互い国民の間に共通する伝統の精神なり道義道徳といったものが培われてきている。つまり、日本にはもともと、真の先進国の姿を他の国々に先がけて実現しやすい条件が与えられていると考えられるのである。

(『松下幸之助対談集 経営静談』〈1980〉より)

 

 真の先進国とは法三章で治まる真の文化国家のことであり、それを建設するカギは国民の道義道徳心である、ということでしょう。

 松下によれば、道徳とは、人間の尊厳、人間の正しい生き方を教えるものであり、人間いっさいの基盤となるものです。それだけでなく、お互いの生活において実利実益を生みだすものでもあります。「道徳は実利に結びつく」という論文を、松下は1966年に『PHP』誌で発表していますが、そこでは日本の伝統的な「商道徳」を例に道徳の実利性が説かれています。日本の昔の商人たちは、約束というものを非常に重んじ、盆暮れの決済日にはいくら夜遅くになってもその日のうちに払うべき金をちゃんと払った。そうして商取引の秩序が保たれ、商売が安心してやれた。しかし現状はというと、約束の期限を無造作に延ばしたり、初めから詐欺行為を企むといったケースが増加しており、取引の信頼性が失われ、そのために時間的なロス、物的損害などが生じ、能率の低下を招き寄せている。つまり道義道徳の高低によって実利実益が大いに左右されるというのです。そしてこういった観点から、松下は日本国民全体がいっそう道徳、良識といったものの涵養につとめ、それとともに「法律を再点検し、現状にそぐわないものは整理改正し」、「国民の道徳や良識に応じて規則を緩めていく」のが日本の進むべき道であると結論づけ、さらに国際社会のなかでは「日本は徳行国家たれ」と説くようにもなったのです。

PHP研究所経営理念研究本部

 

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松下幸之助対談集 経営静談

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