2014年4月入社に向けた学生の就職活動が佳境を迎えています(2013年2月25日時点)。 前途洋々、意気盛んの方もあれば、心中穏やかならず、いまも悩み・迷いを重ねておられる方もあるでしょう。

 

 それでは9歳から社会に出、その後、仕事一筋の人生を生きた松下幸之助は、いったいどのような「就職」観をもっていたのでしょうか。

(2013.2.25更新)

 

詳細

 2011年3月11日の東日本大震災以降、原子力発電問題に端を発し、各電力会社はいま、厳しい世論のなかにその身を置いていますが、松下幸之助が少年期に、みずからの就職先として希望したのが、大阪電燈(いまの関西電力)でした。

 

 小学校を中退し、幼少の頃から火鉢店で丁稚奉公、その後も自転車店で精勤するうちに、市街を走る電車を見て、「これからは電気の時代だ!」と思い、電気工事の職に就くことを志したのです。

 

 しかしすぐには採用されず、欠員が出るまで待たなければなりませんでした。やむを得ず松下は、採用までの期間、義兄が勤務していたセメント会社で臨時運搬工を、つまりバイトをすることになります。

 

 元来細身で、しかも病気がちだった松下が、セメントをトロッコに積んで汗をかきながら運ぶ姿は想像しにくいところですが、なんとか3カ月ほど働いて、その間に、大阪電燈に欠員が出、晴れて就職することができました。その後は周知のとおり、独立して町の電気屋から身を起こし、グローバル企業の経営者へと飛躍していったのです。

 

 こうした経験のなかで幾多の苦労・困難と出遭い、それらを乗り越えることで培ってきた松下の仕事に対する見方・考え方には非常に力強さがあり、その語るところは聴く者を励まし、勇気づけます。以下は、1960年に自社の新入社員に向けて語ったものです。(『人生と仕事について知っておいてほしいこと』より)

 

 「久原房之助(のちに政治家)が大学を卒業して、ある会社に入りまして、倉庫係を命じられた。入社早々、倉庫係ですから、そうたいして地位が高いわけではございません。しかし、彼は一年ならずしてその支店の倉庫係の中心となって、支店の経営を変えたというんです。それはどういうことかというと、倉庫に入って勤務してみると、ストック的な寝息物(売れ残り品)が積んであったり、いろいろなものが雑然と置かれている。『これはおかしいやないですか。どうしたもんでしょう』と言うと、『いや、売れんから、こうしてほうってあるのや』と。そういうものがたくさんある。それを彼はいちいち調べて、支店長なり、課長に、『これではもったいないから、こうしたらどうでしょうか、ああしたらどうでしょうか』といろいろ言うて、一年のあいだにすっかり倉庫が整理された。

 

 倉庫が整理されたということだけやなくして、倉庫を整理するについては、寝息物を処分するとか、営業部を通じてそれを売るとか、いろいろせねばならん。すると営業部の人たちが、“これはこういうように処分しないといけなかったんやな”と分かる。そうして、その支店の経営がすっかり変わった。彼は大学を卒業して一年にして、一倉庫係の地位にありながら、課長を動かし、支店長を動かし、支店の経営をすっかり改善したということを私は話に聞いたんです。多少、その話には誇張があるかもわかりませんが、私はそれはできるだろうと思います。会社としてやらねばならんことをやっていなかった。新入社員がそれを発見した。そして誠意をこめて言うべきことを言い、上長に提言すべきことを提言して、倉庫係を中心として、その支店営業部全体が覚醒したということです。

 

 一人の人間の力というものはそれだけ有効に働くんですな。いわゆる目覚めた人間といいますか、強い熱意のある人間と申しますか、そういう一人の力によって、全体が変わる。そして物事がはっきりと再認識される。社長が改善をしようと思っても、なかなか今日は改善できないんです、いろいろな抵抗があって。社長や専務とかいうような指導的な立場にある者やなくして、いちばん下位の社員が、上を全部覚醒させて会社の経営を変更させたということですね。これはできるんですね。やればできるんです」

 

 「やればできる」。そして一人の新入社員の目覚めが、会社全体を覚醒させる。当時、世間でも確たる名声を得ていた社長・松下幸之助のこの話を聴いて、新入社員は心躍らせ、胸を熱くし、希望をふくらませたことでしょう。

 

 就職にあたって、少年期の松下のように「これからの時代」を考えて企業選びをするもよし、人気企業を選ぶもよし、安定性重視もよし、社長の人柄や社風で決めるもよし、給料のよさで決めるもよし。それぞれの人生ですから、それぞれの考え方があっていいでしょう。近年、停滞する日本経済のなかで、就職事情もますます厳しさを増している感があり、多くの学生が、会社を選ぶというより、会社に選ばれるというほうが妥当なのかもしれません。希望通りの結果を得ることができない学生も多いことでしょうが、いずれにせよ、進むべき道を決めてからが、ほんとうの勝負になります。

 

 以下は、社会人としてのスタート台に立つ若者たちに向け、松下が心を込めて贈った言葉です。松下の就職観がよくあらわれたものになっています(ともに『若さに贈る』より)。

 

 「あなたの適性が、うどん屋であるか、サラリーマンでも技術畑であるか、事務系統であるか、そのいずれであっても、みずからの適性に忠実に人事をつくす。そうすれば、あなたの天分は生きる。運命は生きるのです。そして、あなたが天下を取るような運命にもしあるならば、誠実な働きを通じて天下を取ることができるでしょう。たとえ天下を取るようなことがなかったとしても、あなたのもつ運命は、その道によって生きてきます。ここで注意をうながしたいのは、自分は運がないとか、運が弱いとか、自分で自分の不幸を捜すような愚は避けてほしいということです。あなたは、現在ここにこうして育ち、生きている――それだけでも、相当な運があるのです」

 

 「あなたが学校教育を受け、希望の仕事をスタートさせる。あなたは受け入れられた。それは、あなたが適格者と認められたことです。あなたは、適性に従って働くことができた。これまた運があることでしょう。もちろん、あなたはその仕事に100%適性でないばあいもありましょう。しかし、あなたが望み、相手は認めて受け入れたのです。適性に立っていることはまちがいない。そうだとすると、遠い将来は別として、いまあなたにとってだいじなことは、いまの適性に生きること、その適性に、誠心誠意働くこと、勉強することです。そうすれば、あなたが望もうと望むまいと、あなたの天分、あなたの運命はそこからひらけてくる。これは、理屈ではない。わたしが今日までの体験からえた確信なのです。

 

 純然たるわたしの個人的体験をもとにした信条ですから、あるいはまちがっているかもしれません。けれども、わたしに、あなたのような子どもがおるならば、あるいは孫がおるならば、わたしは自分の体験をすっかり話し、そして、やはりいうでしょう。いってやりたいと思います。『おまえにはおまえの考えがあるだろう。しかし、もし、わしのいうことに多少の真理があり、共鳴するところがあるなら、おまえもそんなつもりでやってみないか』

 

 自分の適性に生きて、喜びをもってきょうの日の仕事に徹する――それが勇気のあるひとだとわたしは思うのです。一つのことでも、こんな仕事はという、とざされた考え方もあれば、こんな仕事をすることができると考える、ひらかれた心もある。前者は運命につぶされ、後者は運命に従って運命に優遇されるひとなのです。あなたはどこまでも後者でなければなりません」

 

 「就職」というみずからの人生を大きく左右する一大事にどう臨み、その選んだ道をどう歩んでいくか。これから入る会社を発展させるのは自分だとの心意気をもって、しかしまずは日々の現実と向き合い、眼前の仕事に徹していく。そうしてみずからの“いま”の適性に誠実に生き、運命を切りひらいていくことを、松下は若者たちに望んでいたのです。

PHP研究所経営理念研究本部

 

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