昭和56(1981)年11月、松下電器はハーバード大学のハーバード・ビジネススクールに100万ドルを寄贈し、同校に「松下幸之助教授職」が設置されました。松下幸之助は、「この講座によって混迷の現状を打破し、輝かしい未来を切り拓く国際的リーダーが育成されんことを願って止みません」とコメントを発表しています(※1)。
同月11日、ジョン・マッカーサー(John H. McArthur)学長が松下電器本社を訪ねて調印式が行なわれました。同校でアメリカ人以外の名を冠した教授職が設置されたのは初めてのことです。
さらに昭和60(1985)年12月には、スタンフォード・ビジネススクールにも「松下幸之助教授職」が設置されました(※2)。ロバート・ジェディキ(Robert K. Jaedicke)学長が松下電器に来社して、山下俊彦社長(当時)と調印を行なっています。同校でも日本からの寄金で教授職が設置されるのは初めてのことでした。松下政経塾創設10周年にあたる平成元(1989)年4月、10期生の入塾式には、同校教授のジェラルド・マイヤー(Gerald M. Meier)氏が登壇し、幸之助の著書『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』を取り上げながら、「太平洋地域の発展と展望」と題する講演を行なっています(※3)。
これら以前の昭和51(1976)年1月にも、松下電器はマサチューセッツ工科大学に100万ドルを寄贈し、その基金をもとに「松下教授職」が同校に設置されました(※4)。これについて松下正治会長(当時)は、「当社は日米経済摩擦の解消策のひとつとして、日米間の文化交流にも意を用いています」と説明しています(※5)。幸之助は当時の日米貿易摩擦について、「(アメリカが)一面に日本を頼りにしておられると。したがって、日本はその頼りに応えるだけのものを持たないかん」(速記録№1989)と言っており、同国の大学への寄付活動もこうした意味合いがあったようです。
1)「米ハーバード経営大学院に 松下幸之助教授職」『松下電器社内時報』第852号、昭和56(1981)年11月21日付。
2)「スタンフォード・ビジネススクールに『松下幸之助教授職』設置」『松下電器社内時報』第963号、昭和60(1985)年12月15日付。
3)「マイヤー教授が英語で記念講演」『松下政経塾報』創刊号、平成元(1989)年6月1日付。
4)「マサチューセッツ工科大学で松下教授職を任命」『松下電器株主通信』№87、昭和51(1976)年10月20日付。マサチューセッツ工科大学では、「松下幸之助教授職」ではなく、「松下教授職」でした。現在は「電気工学パナソニック教授職」(Panasonic Professor of Electrical Engineering)という名称です。
5)「MIT総長が来訪」『松下電器社内時報』第884号、昭和57(1982)年11月11日付。