松下幸之助経営塾」は、松下幸之助の経営哲学を学ぶための、経営者・後継経営者を対象にした公開セミナー。松下幸之助の直弟子や、すぐれた経営理念によっていま活躍中の経営者ら、一流の講師陣による講話も魅力のひとつです。今回は、小川守正氏(パナソニック客員)の特別講話の要旨をご紹介します。

 

叱られて経営を学ぶ(2)からの続き

 

松下幸之助経営塾講義再録

販売の現場の声が伝わる体制に

 

私は松下住設の部課長200名を集め、それまでのいきさつをつぶさに報告しました。

 

「工場の土地と建物を担保にして銀行から借りたおカネです。松下電器の本社から借りたのではありません。返済できなければ、会社は潰れます。松下の看板を掲げていても、もう松下電器の会社ではありません。再建できなければ全員失職となります」

 

こうして社の経営が危機的状況にあることを説明したうえで、それぞれの担当部門の赤字をなくすよう、指示を出しました。さらにその後、4000名の全社員に会社が苦しい状態にあることを訴え、一人ひとりがムダをなくす努力をしてほしいと要請したのです。

 

すると、会社再建のため、現場からいろいろな改善案が寄せられました。

 

たとえば、倉庫で働いている女性契約社員から、ひと目で在庫量が分かるように、在庫棚に量を示す色テープを貼るという提案がありました。すると、それまで4~5日かかっていた棚卸(たなおろし)作業が、数時間で完了するようになったのです。また、設計部門の女性新入社員から、事務用品の管理をすべて任せてほしいとの要望が出ました。そこで任せたところ、設計部門にある事務用品をいったんすべて回収し、各社員に対し必要なときに決まった量を渡すようにしたのです。その結果、事務用品のコストが2割近く削減されました。

 

この2つの例のように、小さいけれども、現場にいるからこそ思いつく改善案がいくつも寄せられたのです。

 

また、松下電器グループ各社から余剰となっている人員を出してもらい、その人件費は松下住設の本社でもち、全国の販売代理店に販売支援というかたちで出向してもらうようにしました。そして、その出向者には、毎月三日ほど松下住設の本社に来てもらい、販売現場の状況と製品に対する評判や要望を報告させました。すると、販売現場と事業部との距離が近くなり、製品の改良も進むようになったのです。

 

その結果、社の業績は黒字に転じました。私はこのときほど、松下創業者の言う「衆知を集める経営」の意義を実感したことはありません。そのうえ、部下に任せることの重要性も分かりました。部下に知恵を出せと命令するのではなく、権限を与えて任せたことで、成果を出すことができたのです。

 

後日談になりますが、他社から来て販売代理店に出向した社員のほとんどが、本人の希望により、出向先にとどまることになりました。

 

「頑固な小川」にも心配り

 

商品を見る目が鋭い松下創業者に、電子レンジの設計について一度、逆らったことがあります。ある日、松下創業者から「電子レンジのあそこはこう直したほうがいいよ」という電話がかかってきました。私は、「それは一理あるけれど、マイナス面もある」と答えて、対応しませんでした。しばらくして、また電話がありました。同様のことを指摘されるのです。私は「しつこいなあ」と思いながら、前回と同じ答えをしました。すると松下創業者は、「そうか。きみは十何年電子レンジやっているのか!」と言って、電話を切りました。そして、3度目の電話ではひどく怒っておられ、「すぐにやるように」と厳命されたのです。

 

ただ、松下創業者は自分勝手に怒っていたわけではありません。たしかに最初の設計変更の要望は松下創業者独自の判断だったかもしれませんが、2度目は販売店の意見を聞いたうえで電話をかけてこられました。さらに3度目は、販売店会の会長さんたちに集まってもらい、詳細にわたり意見を聴いて調べてから、電話をされているわけです。

 

販売店のご主人のなかには、松下創業者になら率直に意見を言うという方がたくさんおられました。自分だけの判断ではなく販売の最前線の方々の意見もきちんと聴いたうえで電話をかけても、私がなかなか動かないものだから、非常に立腹されたのです。

 

そんなこともあり、松下創業者には相当な頑固者だと見られていたようです。松下電器では月に1度、200名ほどの経営幹部が集まる経営研究会が開かれていました。松下創業者がその席上、「頭の固い技術屋は商品開発を誤ることがある」と発言するなり、「たとえばそこにいる小川君や」と、私を名指しされたことがあります。このときの私は、恥ずかしいというよりもむしろ、松下創業者が私の名前を覚えていてくださったことがうれしくてなりませんでした。しかし以降、「頑固な小川」といううれしくないあだ名がつきました。

 

1週間後、松下創業者からお呼びがかかりました。いよいよクビかと覚悟していると、松下創業者の口から意外な言葉が出てきたのです。

 

「このあいだ久しぶりに神田の電気街(秋葉原)を歩いたんや。そこでうちの事業部長や幹部は来ますかと尋ねたら、『小川さんだけです、来るのは』と言っていた。きみは現場、よう歩いとるな」

 

ニッコリ笑いながらそう言われたのです。用件はそれだけでした。

このように、叱るときはビシッと叱り、その後に心配りをしてくださってほめるというのが松下創業者の常でした。しかもそれが決してテクニックではなく、人柄からにじみ出るものであっただけに、よけいに私の心に残っているのです。

(おわり)

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