昭和57(1982)年、松下幸之助は満年齢で米寿を迎えたことを期に、国立京都国際会館理事長など多くの公職を退きました。PHP活動にかける時間が増えたことによって、幸之助はPHPの理念をまとめるべく「PHP教理研究会」を立ち上げます。この研究会は、毎月8、18、28日の8のつく日に幸之助を含む8名が京都東山山麓の真々庵に集まって討議を行ないました。当時の幸之助の新しい理念を反映させつつ、PHPの理念を「万教帰一」の原理として書籍にまとめることが目標とされました。
同年1月8日の第1回は、研究会の基本的な方針について話し合われ、かねてから幸之助が内々で述べていた次の理念を、新たなPHPの理念の基本とすることが決定しました。
宇宙は尊厳無比、妙絶至遠にして、広大無辺、無始無終なる生命体である。
さらに幸之助は「今、科学万能(主義)になってきて、こういう状態が続くと、もう始末に負えない」と述べています。
同月18日に開かれた第2回では、この研究会の趣旨として、第1回の幸之助の言葉を元にした「PHP教理研究会 開講の言葉」がまとめられました(『松下幸之助発言集43』)。また、この日以降、かつての朝食会のように、参加者が朝食を共にして研究会に臨むかたちが取られました。
研究会で幸之助は、「(宇宙の根源は)根源自体の力で万物を支配する」や、「最上の王者は根源の力」「(人間は)ナンバーツー」(第3回)と主張するなど、新しい理念を披露しており、研究員と活発な議論が展開されました。