経営理念のない会社は、羅針盤のない船のようなものだ。乗っている人たちは、どこに向かっているのかわからない。また、理念があっても単なる"飾り物"に終わっていたら、事業の推進には寄与しない。接着剤メーカーの積水フーラーは以前、おおよその理念はありながらも明文化されず、経営者が変わるたびに微妙に変化してきた。そのため、社員はより明確な指針となる普遍的な理念を渇望していた。6代目社長に就任した丸山剛さん(「松下幸之助経営塾」卒塾生)は、一番にやるべきは自分たちの揺るがぬ理念の策定だと考えた。しかし、理念は生きたものでなければ意味がない。理念が社員の行動に直結するためには、何が必要なのか。丸山さんの思考と実践を取材した。

理念に沿った行動が讃えられる企業文化に~三井・ケマーズフロロプロダクツ株式会社・丸山 剛社長執行役員(取材当時は積水フーラー株式会社 代表取締役社長)(前編)からのつづき

<実践! 幸之助哲学>
ある日米合弁企業における行動指針の徹底実践ーー後編

GEバリューズとの出合い

GEに入社すると、一枚のカードを手渡される。GEの価値観であり、全社員の行動指針となる「GE Values(バリューズ)」である。

最初に明記されているのは、この言葉だ。
Always with unyielding integrity――常に断固として高潔であれ。リーダーたる者、一点の曇りもあってはならないというのである。

続けて、顧客重視の姿勢や官僚主義の打破、組織の壁を取り払うといった文言が並ぶ。また、チームの力を最大にするためなら、職位に関係なく誰が言い出したことでも、よいアイデアは採用するという。

丸山さんの心をとらえたのは、これらの言葉が単なるお飾りではなく、日々の仕事の中で実質的に機能していたことである。
丸山さんは日本のマネージャーにいくら言っても埒が明かない案件があった時、米国の本社に直接メールを送って意見具申をした。その結果、日本の職場内では大騒動になるわけだが、その行為そのものを責める人は誰もいなかった。なぜならGEバリューズに書かれていることを、そのまま実行しただけだからである。

ジャック・ウェルチの経営哲学は、こうした面で組織の隅々まで浸透していた。GEバリューズに書いてあることが推奨される。これを実行する人が評価される。それが明確だった。
この体験が丸山さんにとって、会社が社員に価値観を示すことの重要性と、その価値内容が日々の実践に直結していることの大切さを、体感的に理解する契機になった。

Energy(常にゆるぎないエネルギーを持って)、Energize(常に周囲を鼓舞し)、Edge(常に難しい意思決定をし)、そしてExecute(常に実行し、結果を出す)......GEリーダーに求められる〝四つのE〟を文字通り実践する。すると会社もそれに応えて、丸山さんに次々と重要なポストを与えるようになった。入社五年目には執行役員に昇進。この地位は世界中のGE社員のトップ一パーセントにあたり、クロトンビル(GEが設立した世界初の企業内ビジネススクール)でリーダーシップ研修等も受講できるクラスだ。実質的には経営者であり、高い報酬を得られる代わりに従業員のような就労保証はない。パフォーマンスが下がれば、もはや組織にいることは許されない立場である。
この時丸山さんに与えられたミッションは、大手自動車メーカーとの関係修復だった。当時、GEは全世界的に値上げを断行し、様々な取引先に衝撃を与えていた。この自動車メーカーにもプラスチックを納めていたが、値上げによって関係に亀裂が入り、購買部を訪問しても門前払い状態になっていた。

そこで丸山さんは、全く違う次元からのアプローチを試みる。
「松下幸之助さんは『松下電器は物をつくる前に人をつくる会社である』とおっしゃいましたが、ウェルチは『GEはリーダーを育て、輩出する会社だ』と言っていました。プラスチックは売れない。ならば興味を持ってもらえる『GEのリーダー育成のベストプラクティス』を紹介しよう、ということで、私はGEジャパン社長、人事部長の協力を得て、この大手自動車メーカーの幹部に対してクロトンビルのリーダー研修の話をしたり、グローバルなオペレーションのメカニズムを説明したりという活動を始めました。これが先方に評価されて、一年後にはこのメーカーでGEの大展示会を開催することができたのです」

この展示会には、メーカーの当時の会長や社長も来場したという。これをきっかけに購買部との取引も復活し、丸山さんは当初のミッションを果たす。「自分のビジネス人生でも非常に心に残る仕事の一つです」と振り返った。

しかしその後、GEプラスチックスは事業売却でサウジアラビアのSABICという会社になった。丸山さんはアジア・パシフィック全域を見るグローバルリーダーを任され、日本法人の社長を五年間務めて退任した。
その後の縁で、ほどなくH.B.フーラーとの話がまとまり、丸山さんは積水フーラーの人となったのである。

経営理念に照らしたフィードバック

丸山さんが今、社内に醸成したいと思っているのが「ほめる文化」だ。GAPの「Engagement」(エンゲージメント)にある、より具体的な行動指針も「私は相手に対する尊敬を常に持ち、素晴らしい行いや考えを賞賛します!」と謳っている。それを根づかせたいという思いがある。
旧来の日本企業では、プラス面をほめるよりも、マイナス面に注目し、そこを問い質すという指導のやり方が多い。積水フーラーにもそんな傾向があった。

しかし丸山さん自身は、叱ることが有効に働くとは考えていない。
例えば、先日こんな出来事が起こった。ある経営会議のメンバーが、社長の丸山さんに報告することなく、工場の改革プロジェクトを親会社に提案していた。その話を耳にした時、丸山さんの心の中では反射的に「オレは聞いていない」という気持ちが湧き起こったが、そこはこらえて何も言わなかった。
どうしたのかというと、1on  1(一対一で行なうミーティング)の際に、この問題を次のように相手に投げかけてみたのだ。
「今回僕に相談がなかったのは、『丸山にこの話をしても、興味を持ってくれないだろうな。あまりピンとこないだろうな。聞く耳を持ってくれないだろうな』と思われたからかもしれない。そうだとすれば、僕がそう思われるような印象を日頃から与えてしまっていたことになる。それは僕の責任だ。今後はそれを改めなければならないと思う」
相手は、丸山さんの真意を汲み取り「返す言葉もありません。申し訳ありませんでした」と答えたそうだ。もし、最初に頭ごなしに叱っていたら、相手が素直に丸山さんの言葉を受け入れることはなかったかもしれない。

「大事なことは、オープンなコミュニケーションとフィードバックです」と丸山さんは言う。
「叱るわりには、何ができていないのかをはっきりと伝えないケースが多いのです。例えば数字を達成していない場合、『おまえ、こんな数字でオレは役員会でなんと報告すればいいんだ』みたいな言い方をする。
数字が悪いのは行動が悪いからです。だから、具体的な行動を変えさせなければなりません。その時GAPのような行動指針がモノをいうのです。例えば『従来の考え方にとらわれて、(GAPの「Differentiation」〈ディファレンシエーション〉のより具体的な行動指針にある)Challenge to Changeをしていないではないか』と。これがフィードバックです」

常に経営理念、行動指針に照らして判断する。そうすることで、部下に行動変容を促す際にも、上司の個人的な見解や印象で述べているのではなく、会社の尺度で部下の行動を測った結果を伝えていることになるのである。

逆に、部下が経営理念に沿った行動をした場合、賞賛や感謝の意思表示をすること、それが「ほめる」である。
丸山さんは今、「ほめること」「フィードバックすること」を通して、積水フーラーのすべての社員がGAPにもとづく行動をとれるようにしていきたいと考えている。それが、額に入れられただけではなく、また毎朝お決まりのように唱和されるだけでもない、経営理念が日々の実践の中に落とし込まれた姿を実現することだからである。
それは、丸山さんの原点にある体験――GEから学んだバリューと日々の行動との関係性を、積水フーラーという場でも体現することにほかならない。

management philosophy-workshop1.png

management philosophy-workshop2.png

経営理念を自分事としてとらえられるようになるためのワークショップ

素直な心で日々起こる事象と向き合う

これまでのビジネス人生の歩みの中で、丸山さんは経営理念が企業にとっていかに大切で、人の能力を正しい方向に活かすという点でどれほど大きな力を発揮するかということを身をもって感じてきた。だから経営理念を最も重視した松下幸之助の考え方に触れたいと思った。

松下幸之助の考え方を学ぶ中で心に刻まれたのが「素直な心」だった。そして、松下幸之助が万物に対する感謝と素直な心を見つめ直す場として、〝根源社〟という社をみずから設けたことを知ると、丸山さんも自宅に神棚を据え、同じように〝根源社〟と名づけて毎日向き合うことにしたのである。
「毎日、世界の平和、幸福、繁栄を祈ると同時に、自分が素直な心になれているかどうか自問自答し、内省します。これは、〝根源社〟の前で内省すると明言した時から実行しています。
すると、自分の主張は正しい、相手が間違っているという思い込みが生じても、〝素直〟を意識すれば自然に消えていくようになりました。腹を立ててもおかしくない場面に遭遇しても、不思議と落ち着いた気持ちでいられることが増えたような気がします。
もちろん、まだまだ至らない点は多いですが、幸之助さんのおっしゃる素直な心に少しでも近づけていけたらと思っています」

グローバルなトップリーダーの世界で切磋琢磨してきた丸山さんは今、積水フーラーという舞台で理念の浸透と実践を通じたビジネス成長の実現という最大のチャレンジに取り組んでいる。三年後、五年後に、積水フーラーという会社は、どんな姿を見せてくれるのだろうか。

(おわり)

経営セミナー 松下幸之助経営塾




◆『衆知』2021.5-6より

DATA

積水フーラー株式会社

[代表取締役社長]ヘザー カンペ
[本社]〒108-0075
     東京都港区港南 2-16-2太陽生命品川ビル5F
TEL 03-5495-0661(代表)
FAX 03-5495-0672(代表)
設立...2005年4月1日
資本金...4億円
事業内容...接着剤、シーリング材および化学工業製品の開発・製造・販売