松下政経塾は昭和54(1979)年に第1期入塾生を募集し、同年7月31日の締切りまでに907名が応募しました。三次審査を経て、10月5日に男性26名の合格が発表されました。
入塾式は、翌昭和55(1980)年4月1日に行なわれています。松下幸之助は2月から風邪気味であり、ドクターストップがかかっていたにもかかわらず出席したと後に述べています(速記録№1821)。住友銀行名誉会長の堀田庄三氏(政経塾相談役)、NHK解説委員の緒方彰氏(政経塾理事)なども出席しました(速記録№1811・動画№ODA580033)。
第1期の入塾生22名(※1)と、父兄三十数名も出席しました。幸之助は塾長としてあいさつし、「当初は50名くらいあってもいいと思っていた」「30名を割ったのはいかにも残念」「方針にかなった人なら逆に1人でも良い」と述べました。
登壇した住友銀行の堀田氏は自らの体験から、リーダーに必要なこととして誠実、絶えざる努力、創意工夫、勇気の大切さを説き、「松下さんの会社はマンネリズムがない」「絶えず前進であり、絶えず開発であります」と言いました。NHKの緒方氏は、塾生が「二律背反みたいなものを追わなきゃなりません」とし、塾生は世間からエリートと見られているが、本当は逆境の中にあってバイタリティーを保たないといけないと主張しています。
引き続き、祝電披露、全塾生一人ひとりの決意表明、塾歌「噴きあがる」の斉唱があり、丹羽正治副塾長の発声による万歳三唱で締めくくられました。その後も、屋外に出て記念撮影、開塾記念植樹、父兄と塾生の記念昼食会、父兄塾内見学会、共同記者会見が行なわれています。マスコミの関心は塾生一人ひとりにも向けられました。
翌日の4月2日から幸之助はさっそく講話を開始しています。以後しばらくは、月に一度来塾して、2日間にわたって講話する形式が取られました。
1)合格者のうち3名が入塾を辞退し、入塾式に出席できなかった1名が加わって、第1期生は合計23名でした。