昭和二年、松下電器が初めてアイロンの開発を手がけたときのことである。幸之助は若い技術者を呼んで言った。


 「今、アイロンというものを二、三の会社がつくっているが、使ってみると非常に便利である。しかし、残念ながら価格が高く、せっかく便利なものなのに多くの人に使ってもらうことができない。そこで、わしは合理的な設計と量産によって、できるだけ安いアイロンをつくり、その恩恵にだれでもが浴せるようにしたい。今、師範学校を出て、小学校に勤めた先生は給料が安く、たいてい二階借りをして暮らしているが、そのような人でも買える価格にするためには、今四円から五円しているのを三円くらいに下げなければならない。それを松下でぜひやり遂げたいのだがどうだろうか」

 技術者は、幸之助の熱意に感激した。すかさず幸之助は命じた。
 「きみひとつ、このアイロンの開発を、ぜひ担当してくれたまえ」

 ところがその技術者は、金属加工の経験はあるけれども、アイロンなど電熱関係についてはまったく何も知らない素人である。当然辞退した。
 「これは私一人ではとても無理です」

 それに対する幸之助の言葉は、力強く誠意に満ちていた。
 「いや、できるよ。きみだったら必ずできる」

 そのひと言で青年の心は動いた。なんとかできるような気がしてきた。
 「こういう意義のある仕事です。及ばずながら精いっぱいやらせていただきます」
 幸之助が願ったとおりの低価格で、便利なナショナルスーパーアイロンができあがったのは、それからわずか三カ月後であった。