創業五十周年にあたる昭和四十三年、松下電器では得意先を招待し、全国十数カ所で謝恩会が開催されました。松下幸之助はそのすべてに出席、盛業のうちに今日を迎えられた礼を述べると、壇上を前方に歩み出て深々と頭を下げ、感謝の意を表したのです。

 幸之助は、自身が小さな借家でソケットづくりから始めた松下電器を世界的企業に成長、発展させることができたのは、お得意先をはじめ周囲のすべての人の支援があったからだという気持ちを常にもっていました。そしてそのご恩に報いたいとの思いが、来客を迎える際にもおのずと表れたのでした。

 

接待は心遣いそのもの

 晩年になっても幸之助は、得意先を招く行事などでは必ず幹部社員とともに長時間、立礼で出迎え、閉会後は最後まで玄関先で見送っていました。

 また古くからの社員は、当時の接待の徹底ぶりを次のようにふり返っています。
 たとえば料亭で宴席を設けるときは、玄関係の社員が、宴会のあいだに招待客の靴を全部磨く。お酒の燗係は温度計を持って待機、座敷に運ばれる前に温度を測り、定められた熱さかどうかを確かめる。事前の準備では宴会場にタコ糸を張り、その糸に沿ってお膳や座布団をまっすぐ並べたといいます。

 「座ったらすぐに乱れると言うが、そうではない。ピシッとそろっていると、入ったときの空気が違う。つくづく接待はお金ではなく、心遣いそのものだということを教えられた」と、その社員は述べています。

 

松下電器が大きくなったのは……

 幸之助の秘書を務めた人の思い出です。

 昭和五十年頃のこと。ある朝、系列の販売店の夫人一行五名が来社されていて、幸之助に面会したいと言っておられるという連絡が入りました。多忙のなか、急な申し出であったにもかかわらず、幸之助は「わかった。お会いする」と快諾。昼食の手配とあわせてカメラマンを呼ぶよう指示し、「お土産は何にされますか」という秘書の問いに、「佐賀錦のハンドバッグにしよう」と答えます。

 午後、会食を終えた幸之助は、「皆さん和服だったから、きょうのお土産はぴったりでよかった」。さらに「経営がうまくいっているお店は、奥さんがしっかりしているという話をしてきた。みんな喜んでおられたで」と、うれしそうに言いました。

 

 翌日には、カメラマンが撮った写真で、夫人一人ひとりに贈る五冊のアルバムを作成。幸之助みずから写真やキャプションを決めつつ、つくっていったということです。作業をしながら幸之助に、「松下電器がここまで大きくなったのは、こういう方々のおかげやで。よう知っておきや」と肩をポンと叩かれたことが忘れられないと秘書は語っています。

 真心のこもった、濃やかで配慮の行き届いたおもてなし――それは幸之助の深い感謝の念に根ざしたものだったのでしょう。

(終)

◆『PHP』2016年12月号より

 

筆者

佐藤悌二郎(PHP研究所専務取締役)

 


 

※本コラムの連載「おもてなしの心」は今回で終了しますが、月刊誌『PHP』では2017年1月号から、筆者を川上恒雄に替えて連載が続きます。併せてご覧ください。

 なお、本コラムは次回から、佐藤の新しい連載をスタートします。お楽しみに♪

 


 

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松下幸之助の生き方