昭和四十年代の初め、毎年発行部数を伸ばしてきたPHP研究所の月刊誌『PHP』が、百万部を超えて、その伸びがいくぶん鈍ってきたときのことである。編集がマンネリになったからではないかと考えた編集長は、誌面の刷新を思い立ち、表紙から編集後記に到るまで、企画、レイアウトをすべて一新した。刷り上がったものはなかなかのできばえで、編集長は満足していた。ところが、新しい冊子を手にした幸之助の第一声は、「今月の『PHP』誌はなんだ!」というものであった。

 内心不満を感じながら、「編集がマンネリぎみなので、それを打ち破るために変えました」と答えた編集長に幸之助は言った。
 「ものには変えていいことと、変えてはいかんことがある。南無阿弥陀仏というお念仏、あれ何百年もくり返していて、もうマンネリや言うて変えてるか」

 常によりよいものをつくろうとすることは大切だが、それにとらわれて、変えんがために変えるのでは本末転倒ではないか、何のための『PHP』誌かということを常に忘れてはいけない、という戒めであった。