昭和二年四月、画期的なナショナルランプが誕生したとき、幸之助は、ランプ一万個を市場に見本として無償で配布するという大胆な販売方法をとったが、それでもまだ十分ではないと考え、新聞広告を打つことにした。それもこれも、よい製品を広く世の人に知ってもらいたい、使って喜んでもらいたいという強い気持ちからであった。

 

 しかし、新聞広告の費用は高く、当時の松下電器にとっては大きな負担であった。それだけに出す以上は効果あるものにしなければならない。幸之助は広告文案やデザインを練りに練った。夜、寝床に入ってからも文案を考える、そして書いた文案を新聞の上にのせて眺めてみる、字の大きさはどうか、字と字の間隔はどうか、字体はどうか、ああでもないこうでもないと考えた。ほとんど三日三晩、考えに考え抜いて広告ができあがった。それは「買って安心、使って徳用、ナショナルランプ」というものであった。

 

 この広告は、昭和二年四月九日、「大阪朝日新聞」第八面の中央に掲載された。初めて「ナショナル」の名を世に紹介した新聞広告であった。