Q68:幸之助の以下のエピソードで当てはまるものは?
平成元(1989)年4月20日、幸之助は気管支肺炎のため治療を受けていました。「これから管を喉に入れます。ご辛抱ください」と声をかけた主治医に対する返答が、幸之助にとって最期の言葉となりました。その言葉は、次のうちどれでしょうか?
(1)「私の人生はずっと辛抱の連続だったので平気です」
(2)「もうこれ以上の治療は結構です」
(3)「いやいや、お願いするのは私です」
解答&解説コラム
(3)が正解です。
平成元(1989)年4月6日、幸之助は38度の高熱を出し、気管支肺炎を発症しました。治療を担当したのは、松下記念病院の当時の院長でした。
同月20日、院長が幸之助の気管にたまった痰たんをチューブで吸い出す際、「これから管を喉に入れます。苦しいでしょうがご辛抱ください」と声をかけました。幸之助は声帯の萎縮によってほとんど声が出せない状態だったにもかかわらず、「いやいや、お願いするのは私です」と、振り絞るように低くかすれた声で答えたのです。これが生涯最期の言葉となりました。
幸之助はその1週間後の27日、午前10時6分に94歳で永眠しました。院長は、「あのひと言は終生忘れることができない。苦しい病の床にありながらも相手を思いやる。松下さんのすべてを物語っている言葉だった」と語っています。