Q173:幸之助の以下のエピソードで当てはまるものは?
昭和41(1966)年3月20日、「松下幸之助が死んだ」という風説が流れたことがありました。幸之助はどのような反応をしたでしょうか?
(1)泣いた
(2)喜んだ
(3)怒った
解答&解説コラム
(2)が正解です。
昭和41(1966)年3月20日日曜日、「松下幸之助が死んだ」という風説が大阪市で流されました。そうとは知らず、翌日月曜日の朝、幸之助は自宅から大阪商工会議所へ向かっています。
うわさを聞いた新聞記者たちは、騒然となりました。一説にはラジオでも誤ってニュースが流されたとのことです。松下電器に問い合わせが殺到し、広報担当者も「そんな情報はない」と言うだけで、まだ本人と連絡が取れない状況でした。今の時間は商工会議所にいるはずと伝えると、多くの記者たちが現地へ向かっています。
商工会議所で所用を済ませた幸之助は、玄関で記者たちに囲まれました。記者たちは、「まさかとは思いましたが、無事を確認するまで安心できませんでした」と述べます。
まったくの事実無根の風説は、幸之助にとって寝耳に水でした。この情報により、松下電器の株価は短時間のあいだだけ、大きく下落しており、意図的に風説を流布して株価を操作する、いわゆる「仕手筋(してすじ)」の仕業ではなかったかと考えられています。
当初は困惑した幸之助でしたが、やがて思い直します。「こういううわさが広まることは、かえってゲンがいい」とあえて喜び、気にしない態度をとってみせました。松下電器の株価は、すぐに元通りになったということです。