鮎という魚はご承知のように、清流を好み、淀んだところには棲まないものです。殊に瀬の早いところを喜び、流れが激しければ激しいほど、彼らは元気に跳躍し、力一ぱい泳ぎまわります。まるで激流に泳ぎ甲斐を感じ、生き甲斐を感じているように思われますね。私たちも、こんな若鮎のような心境で人生に臨めば、どんな困難なことでも打ち克っていけるのではないかと思います。
『月日とともに』(1963)
解説
激流を泳ぐ若鮎をみて「泳ぎ甲斐」を感じていると思い、かつ自分も「どんな困難なことでも打ち克っていける」と思う。今回の言葉を収録した『月日とともに』は、月一回・計八年間、社長・松下幸之助が従業員に向けて書いたリーフレットを集め、社長退任を機に編まれたものです。幸之助の笑顔が浮かんできそうな溌剌とした文面に、心励まされ、思いを新たにした従業員もたくさんいたことでしょう。
この一文に限らず、幸之助は折々に森羅万象を題材として人生の秘訣を語りました。“風の音にも悟る人がいる”といった具合です。人間が、人間以外の存在に学ぶ。それらが発する“声”を聞き、目にみえない“教え”をつかみとる。人間に与えられた尊い特権を、幸之助はよく知り、よく活用し、存分に楽しんでいたようです。
以前のコラムで触れた松下真々庵(当時は真々庵、幸之助が自身のライフワークとしたPHP研究に没頭した場所)には、京都・東山を借景とする池泉回遊式の庭があり、限られた空間の中にも、調和のとれた天地自然の姿が、いまなお美しく現出されています。
雨風に揺れる一木一草、池の水面に降りそそぐ陽光、悠々と泳ぐ鯉、どこからか飛来した鳥……、日々新たな姿をみせる景観に包まれ、幸之助は自身の人間観や社会観を涵養していました。
そしてその甲斐あってか、幸之助は本業の場にも興味深い言葉を残します。たとえば“商品が語りかけてくる”です。熱心で真剣であれば、“こう改善せよ”と商品が語りかけてくるというのです。その声は、幸之助だけでなく、初期松下の技術開発面における支柱的存在だった中尾哲二郎氏(故人)の耳にも聞こえていたようです。
森羅万象ならまだしも、商品が人に語りかけてくるとはいったいどういうことか。不思議といえば不思議ですが、“創る”という仕事に懸命にとり組んだ経験がある人なら、きっと素直に頷けることなのでしょう。
学び
元気に跳躍する若鮎の姿を、日々の仕事に埋没しそうなときこそ、思い出したい。